【現代語訳】
 主上は、王命婦に詳しいことを尋ねたいとお思いになるが、
「今さら、そのようにお隠しになっていらっしゃったことを知ってしまったと、あの人にも思われたくない。ただ、大臣に何とかそれとなくお尋ね申し上げて、昔にもこのような例はあったろうかと聞いてみたい」とお思いになるが、まったくその機会もないので、ますます御学問をあそばしては、さまざまの書物を御覧になると、唐土には表に現れたことでもまた内密のことでも、みだりがわしいことがとても多くあるのだったが、日本には、まったく御覧になることができない。

「たといあったとしても、このように内密のことを、どうして伝え知る方法があるというのか。皇子で臣籍に降下した方で、納言やまた大臣となって後に、さらに親王にもなり、皇位にもおつきになったのも、多数の例があったのであった。人柄のすぐれていることにこと寄せて、そのようにお譲り申し上げようか」などと、いろいろお考えになったのであった。

 秋の司召で、太政大臣におなりになるようなことを内々にお定め申しあげなさった機会に、帝がかねてお考えの意向を、お洩らし申し上げられたのだが、大臣は、まったく目も上げられず恐ろしくお思いになって、決してあってはならないことであるということを申し上げて、ご辞退を申し上げなさる。
「故院のお志として、多数の親王たちの中で特別に御寵愛下さりながら、御位をお譲りになることをお考えあそばさなかったのでした。どうして、その御遺志に背いて及びもつかない位につけましょうか。ただもとのお考えどおりに、朝廷にお仕えして、もう少し年を重ねたならば、のんびりとした仏道にひき籠もろうと存じております」と、いつものお言葉と変わらずに奏上なさるので、まことに残念にお思いになった。

 

《帝は、余りのことなので念のため命婦にも確かめたいと思うのですが、考えてみれば、自分がそういう秘密を知っているということを命婦ごときに知られるのは、父母の不名誉をその分だけ公にすることでもあり、また帝の位を軽くすることでもあります。

絶対的に人の上に立つ者は、自分が何を知っていて何を知らないのかということを部下に知られない方がいいのです。それはつまり全てを知っているかも知れないと思わせることにもなります。大切なのは真実を知ることではなくて、自分の言動の適切さです。この帝は若い(幼い)ながら、そういうことを承知しておられるようです。

帝は独学で先例を探しますが、そんな記録は見つかりません。「たといあったとしても、このように内密のことを、どうして伝え知る方法があるというのか」という帝の述懐には、まったく「ごもっとも」という感じで、読者はそこまで付き合ってきた自分を笑ってしまいます。

帝にしてみれば、源氏が位に就いてくれれば、その理由が何であろうと、結果オーライであるわけです。しかしもちろん源氏は帝の意向を受けません。

実は『評釈』によれば、一度源氏姓を賜って臣下に下った皇子が「大臣・納言になったあとで、…あらためて親王にもどって帝位につく例もある」と言って、三例を挙げていて、しかし「いまの場合は、一般に認められるような理由がない。急に代わっては、へんに思われるだけ」だと書いていますが、源氏が受けないのは、それだけではないでしょう。

源氏には自分は帝位についてはならないという気持があった、と考えるべきではないでしょうか。彼は父に対して不義を働いたわけですが、それは彼が皇子でありながら帝位の継承権を持たないという特別に自由な立場だからできた行為だったはずです。さればこそ読者も彼の振る舞いを同情的に許容してきたのです。

例えば仮に彼が第一皇子であって、その上であのような不義を働いたとすると、それは今ある源氏とは別の、たとえばもっとふてぶてしい個性を考えなくてはならなくなるように思われます。

逆に言えば、作者はそうではない個性を源氏に与えようとしているわけです。彼は、これまでこのように生きてきた自分が帝位につくことはあり得ないことだと考えているように思われます。つまり彼がここで帝に語っていることは、彼の本音だろうということです。

やはり彼は、根の所で至って倫理的なのであって、言わずもがなのことですが、作者は、政略的でふてぶてしい男を、ではなく、自由で風雅で倫理的な男を理想として、物語を紡ごうとしているのです。》

 

  都合により、明日と明後日、休載します。十七日(金)に、改めてお目に掛かります。形から言えば、「あしからず」と言うところですが、さすがにおこがましくて、とりあえず、よろしくお願いします、と結ばせていただきます。

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