【現代語訳】

 ご法事なども終わり、諸々の事柄も落ち着いて、帝は何となく心細くお思いである。

この入道の宮の母后の御代から引き続いて、代々のご祈祷の僧としてお仕えしてきた僧都がいて、故宮におかれてもたいそう尊敬して信頼していらっしゃったが、帝におかせられても御信任厚く、重大な御勅願をいくつも立てて、実にすぐれた僧であったが、年は七十歳ほどで、今は自分の後生を願うための勤行をしようと思って籠もっていたのだが、宮のご病気祈祷のために出て来ていたのを、宮中からお召しがあって、いつも伺候させてお置きになる。
 これからはやはり以前同様に参内してお仕えするように、源氏の大臣からもお勧めの言葉があるので、
「今では、夜居のお勤めなどは、とても堪えがたく思われますが、お言葉の恐れ多いのによって、昔からのご厚志に感謝を込めて」と言って、帝のお側にお仕えしているが、静かな暁に、誰もお側近くにいないで、あるいは里に退出などしていた折に、老人らしく咳をしながら、世の中の事どもを奏上なさるついでに、
「まことに申し上げにくく、申し上げたらかえって罪に当たろうかと憚られる点が多いのですが、御存じでないために、罪も重く、天の眼が恐ろしく存じられますことを、心中に嘆きながら、そのまま寿命が終わってしまいましたならば、何の益がございましょうか。仏も不正直なとお思いになるのではないでしょうか」とだけ申し上げかけて、それ以上言えないでいるということがあった。

帝は、

「何事だろう。この世に執着の残るよう思うことがあるのだろうか。法師は、聖僧といっても、道に外れた嫉妬心が深くて、困ったものだから」とお思いになって、
「幼かった時から隔てなく思っていたのに、そなたにはそのように隠してこられたことがあったとは、つらい気がする」と仰せになると、

《文の途中ですが、長さの都合でここで区切ります。

「ご法事なども終わり」は、四十九日が経ったことをいうようです。

その夜、七日毎七度の法要という大きな公の勤めに追われて、悲しみに沈む間もない慌ただしい時期が終わって、十四歳の帝はほっと一息しながら、改めて母の不在を噛みしめている、といったところです。

人々は引き下がって、側にはお祖母様以来親交のある高徳の老僧が、ひとりお伽を勤めています。「自分の後生を願うための勤行をしよう(原文・終りの行ひをせむ)」と山に籠もっていたのを、「宮のご病気祈祷」のために出かけてきた人で、本来なら、法要の終わりとともに山に帰るはずだったのでしょうが、帝のご希望があり、是非にと請われての伺候なのでした。

そこにさりげなく「源氏の大臣からもお勧めの言葉があるので」と一言入ったのが意味があって、源氏はみずから問題の種を引き寄せてしまったのでした。人はこのように、自分の人生を変えるような重大な誘因を、自分の知らぬ間にわざわざ自分の手で引き寄せるものなのだ、と思わせます。

さて一夜、帝のお側で二人だけで夜居を勤めたその僧が「静かな暁に」、実は、と帝に語り始めます。

その語り口は、まことにおそるおそるといった様子で、しかも改まった大仰な言葉で、何やら重大な内容らしいのです。「罪も重く」は、帝に伝えるべき事を伝えない罪の深さ、「天の眼が…」は「御存じでないために」生じる帝の罪を言っているようです。

帝は、そのあまりに重そうな前振りに、むしろ逆に僧都に疑いを抱きます。このように内密の話めかして、しばしば讒言や中傷がなされるものだと、若いながら帝は承知しておられるのでしょう。気持の上では用心をしながら、話を促します。》

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