【現代語訳】1
 年月がたつにつれて、御息所のことをお忘れになる折がない。少しは慰められるかと、しかるべき婦人方をお召しになるが、「せめて準ずる程に思われる人さえめったにいないものだ」と、厭わしいばかりに万事を思し召されていたところ、先帝の四の宮で、ご容貌が優れておいでであるという評判が高くいらっしゃる方で、母后がまたとなく大切にお世話申されていられる方を、帝にお仕えする典侍は、先帝の御代からの人で、あちらの宮にも親しく参って馴染んでいたので、ご幼少でいらっしゃった時から拝見し、今でも時に拝見して、「お亡くなりになった御息所のご容貌に似ていらっしゃる方を、三代の帝にわたって宮仕えいたしてまいりましたけれど、一人も拝見できませんでしたが、この后の宮の姫宮さまは、たいそうよく似てご成人なさっていらっしゃいます。世にもまれなご器量よしのお方でございます」と奏上したところ、「ほんとうにか」と、お心が止まって、丁重に礼を尽くしてお申し込みあそばしたのであった。

 母后は、「まあ怖いこと。東宮の母女御がたいそう意地が悪くて、桐壺の更衣が、露骨に亡きものにされてしまった例も不吉で」と、おためらいなさって、すらすらとご決心もつかなかったうちに、母后もお亡くなりになってしまった。

 


《この姫君こそが源氏の生涯の心の生活を陰に陽に支配する女性となります。

が、それは次第に解ってくることとして、ここでは「母后」が気になります。この人は、原文でたった百字ほどの間の命で、出てきたと思ったら、すぐに亡くなってしまいます。

帝の思し召しに逆らうくらいですから、もっと活躍する場があってもよさそうですが、それだけで終わりです。そんな短命な(?)人がどうして出てくる必要があったのかと考えてみると、どうやら「東宮の母女御」(弘徽殿女御)を批判することだけにあるようです。

この間までは、後宮あたりでの批判だったのですが、このころにはもう外部の人にもこういう噂をされるようになって来ているのだということを、作者が読者に納得させたいようです。

更衣の死、更衣の母君の死も現代の読者にはまことにあっけなく思われましたが、この人もそうです。小説の書き方の裏技として、物語の展開に困ったら、登場人物を殺してしまえ、というのがあるそうですが、この物語には、更衣には父が無く、源氏には母が、というように、今後も主要な人物として、片親とか親のいない、またはいないに等しい人が多く出てきます。

近年、日本では結婚した夫婦の三組に一組が離婚するという数字もあるそうですが、死別生別の違いはあるにしても、子供にとっては似たような時代なのかも知れないという気もします。》


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