【現代語訳】
 その当時、高麗人が来朝していた中に、優れた人相見がいたのをお聞きあそばして、内裏の内に召し入れることは宇多帝の御遺誡があるので、たいそう人目を忍んで、この御子を鴻臚館(宿舎)にお遣わしになった。後見役のようにしてお仕えする右大弁の子供のように思わせてお連れ申し上げると、人相見は目を見張って、何度も首を傾け不思議がる。

「国の親となって、帝王の最高の地位につくはずの相をお持ちでいらっしゃる方で、そういう人として占うと、国が乱れ民の憂えることが起こるかも知れません。と言って、朝廷の重鎮となって、政治を補佐する人として占うと、またその相ではないようです」と言う。

 右大弁も、たいそう優れた学識人なので、語り合った事柄は、たいへんに興味深いものであった。漢詩文などを作り交わして、相人が、今日明日のうちにも帰国する時に、このようにめったにない人に対面した喜びや、かえって悲しい思いがするにちがいないという気持ちを趣き深く作ったのに対して、御子もたいそう心を打つ詩句をお作りになったので、この上なくお褒め申して、素晴らしいいくつもの贈物を差し上げる。
 朝廷からも相人にたくさんの贈物を御下賜なさる。
自然と噂が広がって、帝はお漏らしあそばさないが、東宮の祖父大臣などは、どのようなわけでかとお疑いになっているのであった。

帝は、深いお考えから、日本流の観相をお命じになって、既にお考えになっていたことなので、今までこの若君を親王にもなさらなかったのだが、「あの相人はたしかに優れていたのだ」とお思いになって、「外戚の後見のない無品の親王というような不安定な生涯は送らせまい。わが御代もいつまで続くか分からないのだから、臣下として朝廷のご補佐役をさせるのが、将来が安心できる」とお決めになって、ますます諸道の学問を習わせなさる。

 際だって聡明なので、臣下とするにはたいそう惜しいけれど、親王とおなりになったら、世間の人から立坊の疑いを持たれるにちがいなさそうでいらっしゃるので、宿曜道の優れた人に占わせなさっても同様に申すので、源氏にして臣下とするのがよいとお決めになった。

 


《その彼を見た高麗の相人は、御子を見て、驚いて首をかしげ、帝王になれば国が乱れる、国の重臣であるには惜しい相だ、と言います。つまり、トップでは国が乱れる、しかし二番ではない、という意味不明の観相です。

先の段でこの御子のあまりの超人ぶりに匙を投げそうになった現代の読者も、この話によって、また、何?という気持ちになって読み進めることになるはずです。

ところで、この七歳の超人的御子の学問のレベルは実際どのくらいなのかというと、「御子もたいそう心を打つ詩句をお作りになった」というほどだったのです。小学一年生が国の使いとして訪れた一流知識人との別れに際して、その人の国の言葉で詩を作って、しかも感動を呼んだとは、一体どういう作品かと思いますが、ともかくそのくらい優れた才能だったのです。 

ここでまた、東宮の祖父大臣という弘徽殿方の視点が入ります。

 話が一本道にならないで、一つの人の振る舞いが、当人の知らないところでも人々の反応を引き起こし、それが陰に陽に波紋を起こしながら、全体的な世の動きとなってそこに人を巻き込んで進んでいく、そういう世の中の広がり、奥行きがきちんと捉えられていると言えます。

高麗人の観相も、帝のお考えも、そして宿曜道の占いも、すべて親王としておくことはよくないという判断で一致することになって、いよいよ御子は「源氏」の姓を賜って臣下に下ることになります。

こうして大きな問題の渦の中に生まれ出たこの物語の主人公の立ち位置が、ようやく定まりました。

生まれる前から彼の周囲にあった問題は母・更衣とその母君の死によってぬぐい去られ、その悲しみと不思議な相とを抱えて、それ以外は完璧に恵まれた境遇の中で、いよいよ次からこの主人公の物語が動き始めることになります。

ここまでの主人公・帝が次第に背景に退いて、源氏が表に現れてくるのです。》


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