【現代語訳】
 あの解任されていた蔵人も、再び任ぜられていたのであった。靭負尉になって、今年五位に叙されたのであった。昔にひきかえ得意の様子で、御佩刀を取りに近くにやって来る。人影を見つけて、
「昔のことは忘れていたわけではありませんが、恐れ多いのでお訪ねできずにおりました。浦風を思い出させる今朝の寝覚めにも、ご挨拶申し上げる手だてさえなくて」と、しゃれたふうに言うので、応対の女房も、
「『八重立つ山』のこの大井は、まったく『島隠れの浦』の明石に寂しさは劣らなかったのに、『松も昔の(誰も知る人がいない)』と思っていたが、忘れていない人がいらっしゃったとは、頼もしいこと」などと言う。男は
「いい気な者だ。自分も悩みがないわけではなかったのに」などと興ざめな思いがするが、
「いずれ、改めて」と、わざときっぱり言って、参上した。

 たいそう威儀正しくお進みになる間、大声で御前駆が先払いして、お車の後座席に、頭中将、兵衛督をお乗せになる。
「たいそう軽々しい隠れ家を見つけられてしまったのが、残念だ」と、ひどくお困りのふうでいらっしゃる。
「昨夜の月には、残念にもお供に遅れてしまったと存じましたので、今朝は霧の中を参ったのでございます。山の紅葉は、まだでした。野辺の色の方は、盛りでございました。某の朝臣が、小鷹狩にかかわって遅れてしまいましたが、どうなったことでしょう」などと言う。
「今日は、やはり桂殿で」と言って、そちらの方にいらっしゃった。急な御饗応だと大騷ぎして、鵜飼たちを呼び寄せると、海人のさえずりが自然と思い出される。
 野原に夜明かしした公達は、小鳥を体裁ばかりに付けた荻の枝など、土産にして参上する。お杯が何度も廻って、川の近くなので危なっかしいので、酔いに紛れて一日お過ごしになった。

 

《「あの解任されていた蔵人」というのは、「(関屋の巻に)空蝉の夫の先妻の子、常陸の介(もとの紀伊の守)の弟とある」(『集成』)という人のようで、とすると、早くは葵の巻の御禊の時に源氏の臨時の随身を勤めて、後に明石に同行した人ということになります。「明石にいたころを再現したかのようなこの大井に、またひとり当時のことを知る共通の人が出てきた」(『評釈』)わけです。

その人が、御方お付きの女房と洒落たふうなやり取りをするわけですが、「この一場面を置いたのは、源氏と明石の御方との場面と対照さすためである」と『評釈』は言います。つまりその二人の場面(第二章第五段)がいかにもしめやかであわれ深かったのに対して、こちらのことさらめいて蓮っ葉な様を描くことで、「御方の立派さを強調し、明石から上ってきた女房のおすましぶりを(読者とともに)ひやかす」(同)という趣向だというわけです。

なるほどと思われますが、また一方で、源氏の庇護を得て、都でいよいよこれから時と所を得ようとする一族の端々の者達までの得意の様が、そのはしゃいだ調子の中に感じられるという意味もあるように思います。饗宴の前座として、悪くない場面と言えるのではないでしょうか。男の「いい気な者だ。…」という感想の意味はよく分かりません。

さて、源氏が屋敷を出立しようと表に出ると「源氏がここにおいでになることを聞いて殿上人がぞくぞくとおしかけて、源氏がお出になるのを待ち、控えて」(『評釈』)います。照れくさい源氏は、あえて「たいそう威儀正しくお進みになる」のでした。それと車内での「ひどくお困りのふう」とのアンバランスが滑稽です。

それを気遣って同乗の二人は、その源氏の言葉とは関係のない話をします。その「頭中将、兵衛督」は「ここにだけ見える人物」(『集成』)と言います。そういうレベルの公達が迎えに来ていたということで、若い人たちから慕われている感じを言っているのでしょうか。

「今日は、やはり桂殿で」と、帰宅の予定を変更して、隠し事が露見した照れ隠しと皆の迎えをねぎらっての、にぎやかな饗宴が始まります。》

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