【現代語訳】

ひっそりと、御前駆にも親しくない者は加えないで、気を配っておいでになった。黄昏時にお着きになる。

狩衣のご装束で質素になさっていた明石でのお姿でさえまたとなく美しいという気持でいたのに、まして、それなりのお心づかいをして装っていらっしゃる御直衣姿は、世になく美しくまぶしい気がするので、嘆き悲しんでいた心の闇も晴れるようである。
 久しぶりで感慨無量で、若君を御覧になるにつけても、どうして通り一遍にお思いになれようか。今まで離れていた年月の間のことも、我ながらどうしたことかと悔しくお思いになる。
「大殿腹の若君をかわいらしいと世間の人がもてはやすのは、やはり時勢におもねってそのように見做すのだ。こんなふうに、優れた人の将来は、今からはっきりしているものなのだ」と、微笑んでいる顔の無邪気さが、愛くるしくつややかなのを、たいそうかわいらしくお思いになる。
 乳母が、下行した時は痩せ衰えていた容貌が立派になって、何か月もの間のお話など、親しく申し上げるのを、いとおしくもあのような漁村の片隅で過ごしてきたろうことを、おねぎらいになる。
「ここもたいそう人里離れて、出向いて来ることも難しいので、やはりあのかねて考えてある所にお移りなさい」とおっしゃるが、
「まったくもの慣れない期間を過ごしましてから」とお答え申し上げるのも、もっともなことである。一晩中、いといろと睦言を交わされて、夜をお明かしなさる。

 

《夕方、源氏が大井の山荘に着きます。「日が高くなってしまった」という頃に出かけたにしては遅い到着ように思われますが、牛に牽かせた車ではそんなものなのでしょうか。

正装した源氏の姿は、御方にとっては初めてで、会えた喜びも加わって、また見違えるように美しく思われます。

「大殿腹の若君」というのは息子の夕霧のことですが、この時十歳でしょうか、目の前にいる三歳の女の子とかわいさを比べられては気の毒ですが、ともかくも彼は、源氏の子供たちの中で、少なくとも№2という立場を与えられたわけです(ちなみにもう一人の息子・冷泉帝はこの時十三歳になっています)。

少し先の話になりますが、作者はこの少年を、このように一番ではないところがあるとすることによって、源氏のような夢のスーパースターとしてではなく、現実にいる若者として描くつもりのようです。

源氏は御方に会いに行ったはずなのですが、そして読者はその感動的再会の場面を期待しているのですが、源氏の目は姫にばかり向いたようで、ここでは御方の様子はわずかに「『まったく慣れない期間を過ごしましてから』とお答え申し上げ」たとしか書かれません。乳母についてさえも、三年間の田舎住まいの苦労をねぎらう言葉が書かれているのに比べると、あまりにそっけない扱いのように思われます。初めの源氏の美しさに感嘆したというのも、彼女を語るのではなく、源氏を語ったに過ぎないでしょう。

ただ、「やはりあのかねて考えてある所にお移りなさい」と二条院東院に来るように勧めているのは、やっと意を決して都に来たばかりの人にまともに言うべき話ではないでしょうから、これも「睦言」のうちと考えると、少しは書かれているとも言えます。

あまりに劇的になるはずの場面で、読者から多くの期待が持たれるに違いないところは、なまじっかどうぞご自由に想像下さいと、多くは書かないで、フェイド・アウトしておく方が、効果的だということかも知れません。

そして、それは作者の意図ではないのでしょうが、実はそれがまた、このいぶし銀的脇役という、明石の御方という人のポジションを示してもいるわけです。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ