【現代語訳】

 明石に、親しい側近たちを、たいそう内密にお下し遣わしなさる。もうどうしようもなくて、いよいよ上京と思うと、明石の御方は長年住み慣れた浦を去ることが切なく、入道が心細く独り残るだろうことを思い悩んで、いろいろと悲しい気がする。

「何につけても、どうして、こう、心をくだくことになったわが身の上なのだろうか」と、お恵みのかからない人々が羨ましく思われる。
 両親も、このようなお迎えを受けて上京する幸いは、長年寝ても覚めても願い続けていた本望が叶うのだと、たいそう嬉しいけれど、お互いに会わないで過ごすことになるだろうつらさが堪えきれず悲しいので、昼夜ぼんやりして、入道は同じようなことばかり、「そうなると、姫君にお目にかかれず、過すことになるのか」と言うことのほか、言葉がない。
 母君も、たいそう切ない気持ちである。この数年来でさえ、入道とは同じ庵に住まずに離れていたので、ましてこれからは誰を頼りとして留まっていられようか。ただかりそめの契りを交わした人の浅い関係であってさえ、いったん馴染んだ末に別れることは、一通りのものでないようだが、まして変な恰好の頭や、気質は頼りになりそうにないが、またそうした仲で、「この土地こそは、一生を終える住まいだ」と、永遠ではない寿命を待つ間の限りを思って、夫婦で暮らして来たのに、急に別れ去るのも心細い気がする。
 若い女房たちで、田舎暮らしに憂鬱な気持ちで塞ぎこんでいた者は、嬉しく思いながら、一方で、見捨て難い浜辺の風景を、「もう再びと、帰ってくることもあるまい」と、寄せては返す波に思いを寄せて、涙に袖が濡れがちである。

 

《都の住む場ができたとなると、源氏は早速に迎えを送ります。使者を特に「親しい側近」としたのは、今の段階でこの姫の素性を人に知られないためでしょう。

明石の一家は、遂に訪れた姫君の上洛の時を迎えて、悲歎に暮れます。それは「入道が心細く独り残る」ことになるからです。どうやら、入道一人が明石に残り、母君と明石の君と姫君が上洛するようです。

母娘にとっては、上洛すること自体への不安と、夫(父)と別れる悲しみと心細さと、そして住み慣れた土地を離れる寂しさとが、ない交ぜになって、言いようのない悲哀となっているのです。

ところで、どうして入道が一緒に上洛しないのか、ちょっと不審です。

確かに彼は若紫の巻で話題にされた時に、すでに「『何の面目があって、再び都に帰られようか』と言って、剃髪してしまった」と紹介されていました(第一章第二段2節)。

しかしこの度は、「長年寝ても覚めても願い続けていた本望が叶う」と自ら言うような、言わば凱旋と言ってもいい、末頼もしい上洛なのではないでしょうか。しかしそういうふうにはまったく考えていないようです。

そして、それはどうやらこの一家では自明のことであったようで、作者も取り上げて説明しようとしません。

この点を、『人物論』所収「明石入道の人物造形」が、入道に「淪落感の深さ」から来る「はげしい捨離の心」があったからだったのだと言っています。名家に生まれながら、その立場に馴染めず、みずから降格を願い出て都を去った彼には、例えば太宰治のような「淪落」(堕落して身を持ち崩すこと、落ちぶれること・旺文社国語辞典)感があったというようなことは、十分考えられることです。それは、上層階級を否定すると同時に切なく懐かしく思うことによって生じる自己否定感と言えるでしょう。

それなら作者はどうしてそこを取り上げて、そう書かなかったのか、という疑問が残ります。あるいは、当時としてはこの状況であれば、この家族同様に、自明のことと思われることだったのでしょうか。

もし彼が都に対するそういう決定的な自己否定の気持を抱いていたのだとしたら(確かにそれ以外に彼が上洛を拒否する理由は想定しにくいのですが)、娘を是が非でもそこに出そうとする入道には、どれほど複雑な思いがあったことでしょうか。

そしてその全てを知る妻と娘の悲哀は、それぞれの自分の不安の深さと合わせて、これもまた、どう訴えようもないつらいものであったであろうと思われます。》

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