【現代語訳】
「どうしてひどく手間がかかったのだ。どうだったか。昔の面影も見えないほど雑草の茂っていることよ」とおっしゃると、
「これこれの次第で、なんとか会って参りました。侍従の叔母で少将と言いました老女が、昔と変わらない声でおりました」と、その様子を申し上げる。
ひどく不憫な気持ちになって、
「このような蓬生の茂った中に、どのようなお気持ちでお過ごしになっていられたのだろう。今までお訪ねしなかったとは」と、ご自分の薄情さをお思いになっている。
「どうしたものだろう。このような忍び歩きも難しいであろうから、こういう機会でなかったら、立ち寄ることもできまい。昔と変わっていない様子ならば、いかにもそうであろうと想像できるお人柄だ」とはおっしゃるものの、すぐにお入りになることはやはり気が引けるお気持ちがなさる。
きちんとした消息も差し上げたくお思いになるが、かつてご経験されたお返しの遅いのも、まだ変わっていなかったなら、お使いの者が待ちあぐねるのも気の毒で、お止めになった。惟光も、
「とてもお踏み分けになれそうにない、ひどい蓬生の露けさでございます。露を少し払わせて、お入りになりますように」と申し上げるので、
「 尋ねてもわれこそとはめ道もなく深き蓬のもとのこころを
(捜し捜ししてでも私は尋ねよう、道もなく深く茂った蓬の宿の姫君の変わらないお心を) 」
と独り言をいって、構わず車からお下りになるので、御前の露を馬の鞭で払いながらお入れ申し上げる。
雨の雫も、やはり秋の時雨のように降りかかるので、
「お傘がございます。本当に『木の下露は雨にまさりて』で」と申し上げる。
御指貫の裾はひどく濡れてしまったようである。昔でさえあるかないかであった中門などは、もちろん跡形もなくなって、お入りになるにつけても格好がつかないのだが、その場にいて見ている人がないので気楽であった。
《源氏は惟光の報告を聞いて、「ご自分の薄情さ」を反省します。作者とその周囲が、男性はこうでなくてはならないと思っているのです。
さて、「どうしたものだろう」は源氏の自問の気持でしょう。あの姫の人柄からすれば、惟光の言葉から推して、屋敷の内はさぞかし大変な状態だろう、…。
「きちんとしたご消息も…」は、挨拶の和歌を届けさせようとの意味ですが、「かつてご経験された返歌の遅いのも、…お使いの者が待ちあぐねるのも気の毒で、お止めになった」というのが、また妙にふうに気の利いた配慮で、源氏の胸中が察せられます。使いの者を気遣った態ですが、彼自身の気持ちでもあるでしょう。折角立ち寄ろうという気持になっているのに、返事を待たされた挙げ句に、墨黒々と書かれた返事(末摘花の巻第一章第六段2節)では、気持の腰も折れようというものです。
結局彼は惟光の進言も聞かずに自ら屋敷に入っていくのですが、なるほど大変な八重葎でした。
「中門などは、もちろん跡形もなくなって、…」の一文は、自分がいかにも場違いなところに立っているという違和感でしょうか。若い頃は、そういうところに通うのが一つの夢でもあった(帚木の巻第一章第三段2節)のですが、ひと年取り、今の立場になると、それよりも、門がないような所では、きちんとした姿の格好がつかないという気持の方がさきになるのでしょう。内大臣ともなるとその振る舞いはなかなか大変で、こんな荒ら屋に自ら出入りすることは憚らずにはいられません。
もともと彼は、「大変にひどく世間を気にし、まじめになさっていた」(帚木の巻冒頭)のであって、貴公子の中でも彼は特にそういう気配りをする人で、そういうところは今も変わりません。
しかし、昔の縁がある人となると、そんなことで背を向けることができないのも、またこの人であるわけで、ここは「その場にいて見ている人がないので気楽」だと思うことにして、露を踏み分けながら、そっと入っていきます。》