【現代語訳】

 霜月ころになると、雪や霰の降る日が多くなって、他では消える間もあるが、朝日、夕日をさえぎる雑草や葎の蔭になるので深く積もって、越前の白山が思いやられる雪の中で、出入りする下人さえもおらず、所在なく物思いに沈んでいらっしゃる。

とりとめもないお話を申し上げてお慰めし、泣いたり笑ったりしながらお気を紛らした人さえいなくなって、夜も塵の積った御帳台の中も、独り寝のお側が寂しく、もの悲しい気持におなりになる。
 あちらの方は、久々に再会した方にますます夢中なご様子で、たいへんに重要だとお思いでない方々には、特別ご訪問もおできになれない。まして、「あの人はまだ生きていらっしゃるだろうか」という程度にお思い出しになる時もあるが、お訪ねになろうというお気持ちも急ごうとはお思いにならないままに、年も替わった。

 

《冬になって、この屋敷は隈々まで雪が積もって、延び放題の植え込みの日陰になって消えやらず、雪に埋もれた屋敷となっています。

「越前の白山が思いやられる」について、『集成』と『評釈』が同じ古今集のそれぞれ別の歌を典拠として挙げていますが、『集成』の「消え果つる時しなければ越路なる白山の名は雪にぞありける」(躬恒)の方が直接的だと思われます。加えて、作者が娘時代に二年ほど越前で過ごした時の冬を思い出しながら書いたのでしょうか。

「とりとめもないお話を申し上げてお慰めし、泣いたり笑ったりしながらお気を紛らした人」というのがいい言葉で、こうした冬を過ごすのに欠かせないものですが、今や、そういう人も彼女の側にはいません。

雪に埋もれて冷えびえとした、そしてもう掃除をする人さえいなくなった荒ら屋同然の屋敷に、鼻の頭のいやに赤い姫君が、一人つくねんとして過ごしているのです。

その彼女が、あれでもと期待を寄せている源氏は、長い間離れて暮らして、いまやっと心おきなく一緒に過ごせるようになった紫の上との生活に満ち足りて、この姫のことを思い出さないわけではないのですが、行ってみようなどとはつゆ思いません。

その源氏の生活が語られた分だけ、対照的に前の姫の生活の侘びしさがあらためて印象づけられるところです。

そしてそのまままた暫くの時が経ち、年が替わって、源氏が須磨下向に当たって最後にこの姫のもとを去ってから、間もなくまる三年になろうとしています。》

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