【現代語訳】1
 その年の夏、御息所が、ふとした病にかかり、退出しようとなさるのを、お暇を一向にお許しあそばさない。
 ここ数年来、いつもご病気がちでいらっしゃるので、見慣れておられて、「このまましばらく様子を見よ」とおっしゃるばかりだったが、日々に重くおなりになって、わずか五、六日のうちにひどく衰弱されたので、母君が涙ながらに奏上して、退出させ申し上げなさる。
 このような時にも、あってはならない失態を演じてはならないと配慮して、御子はお残し申して、人目につかないようにして退出なさる。

 決まりがあるので、お気持ちのままにお留めあそばすこともできず、お見送りさえままならない心もとなさを、言いようもなく残念におぼし召される。
 たいそう照り映えるように美しくかわいらしい人が、ひどく顔がやつれて、まことにしみじみと物思うことがありながらも、言葉には出して申し上げることもできずに、あるかなきかに消え入るようでいらっしゃるのを御覧になると、帝はあとさきもお考えあそばされず、すべてのことを泣きながらお約束あそばされるが、更衣はお返事を申し上げることもおできになれず、まなざしなどもとてもだるそうで、常よりいっそう弱々しくて、意識もないような状態で臥せっていたので、どうしたらよいものかと心をお乱しになる。
 いったんは輦車のご用意などをお命じになったものの、再び更衣の部屋にお入りあそばして、どうしても退出をお許しになることがおできにならない。



《「御息所」は皇子を生んだ妃の呼び名、ここではあの更衣を指しています。彼女の体調は日に日に重り、今はしばらく里下がりして休養するしかない状態です。しかしそういう状態をずっと見て生きた帝には特に今が大変というふうには見えなかったのでしょう、なおしばらくそのまま過ごさせられます。そして、ついにやや急変があって、里下がりということになりますが、帝には決心がつきません。

「決まりがあるので、お気持ちのままにお留めあそばすこともできず」は、「宮中では思うように養生もできないのと、万一の時の死の穢れを憚って、病気退出をするのがならわし」(『集成』)だったことによるようです。やはり若宮誕生以来蘇った帝の理性で、懸命に自分の情を抑えたわけです。

また、「あってはならない失態(原文・あるまじき恥)」というのは、退出の折に嫌がらせを受ける怖れがあり、「御子が同行していれば、その体面が傷つけられる」(『集成』)ということです。御子誕生以後三年ですが、更衣に対しては、そういうことがもう何年も続いていて、更衣が体調を崩すのも無理かぬことと思わせます。

この段の叙述が、初めには「お暇を一向にお許しあそばさない」とあって、途中の「決まりがあるので」を経て、終わりに「お許しになることがおできにならない」となっていることが、その間の帝の理性と情の間を揺れ動く思いを伝えます。

まずは自分の意志で「許さない」と決定をしながら、すぐに「決まり」を顧慮すべきことを思い、終わりは、もう許すしかないとよく承知しながら、それが「おできにならない」と、情が意志を越えて働いています。

この帝はどうにも女々しい男性に思えますが、女性に対しては草食性であることが、むしろ当時の紳士の条件であったようです。

悲しんでいる人にとって、割り切って明るく元気づけてくれる人と、一緒に泣いてくれる人と、さて、どちらがいいかというのは、難しい問題だという気がします。》


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