【現代語訳】

 もともと荒れていた宮の邸の中は、ますます狐の棲みかとなって、気味悪く人気のない木立に梟の声を毎日耳にするようになって、人気があったからこそそのような物どもも阻まれて姿を隠していたが、今は木霊などの怪異の物どもが我がもの顔になって、だんだんと姿を現し、何ともやりきれないことばかりが数知らず増えて行くので、わずかに残ってお仕えしている女房は、
「やはり、まこと困ったことです。最近の受領どもで風流な家造りを好む者が、この宮の木立を気に入って、お手放しにならないかと伝を求めてご意向を伺わせていますが、そのようにあそばして、とてもこう恐ろしくないお住まいに、ご転居をお考えになってください。今も残って仕えている者も、とても我慢できません」などと申し上げるが、
「まあ、とんでもありません。世間の外聞もあります。生きているうちに、そのようなお形見を何もかも無くしてしまうなんて、どうしてできましょう。このように恐ろしそうにすっかり荒れてしまったが、親の面影がとどまっている心地がする懐かしい住まいだと思うから、慰められるのです」と、泣く泣くおっしゃって、お考えもなさらない。
 お道具類についても、たいそう古風で使い馴れているのが昔風で立派なのを、にわか仕込みの骨董いじりをしようという者がそのような物を欲しがって、特別にあの人この人にお作らせになったのだと聞き出してお伺いを立てるのも、いつのまにやらこのような貧しいあたりと知って侮って言って来るのだが、いつもの女房が、
「しかたがございません。そうすることが世間一般のこと」と思って、目立たぬように取り計らって、眼前の今日明日の生活の不自由を繕う時もあるのを、きつくお叱りになって、
「わたしのためにとお考えになって、お作らせになったのでしょう。どうして賤しい人の家の飾り物にさせましょうか。亡きお父上のご遺志に背くのがたまりません」とおっしゃって、そのようなことはおさせにならない。

 

《姫の屋敷は荒れて大変なことになっていました。狐、梟、木霊の住み処となって、お仕えしている女房は、毎日が生きた心地もありません。

庭木を売れ、家を売れ、調度類を売れと、足元を見た人々が女房たちをたきつけ、そそのかし、女房たちも姫に次々にそうするように進言します。

が、姫は、がんとして聞き入れません。

『評釈』は「夕顔の巻の再現」として、あのなにがしの院と比較して「動揺する者どもに囲まれて、動かない姫は立派である。この姫を、木精が、梟が、狐が、なにするものであろう」と力を込めて、姫を応援します。

しかし、この姫は決してそんな力強い決断、強固な意志を持っているのではないという点が肝心だと思います。

彼女はただ、純粋に、一途に自分の世界に生きているだけなのではないでしょうか。彼女にとって、庭木を切らせないとか、調度を売らないとかということは、比較検討し考慮し判断して選択した結果の決断ではありません。あえて今はもう古びてしまったらしい、私の青春時代の言葉を使って大袈裟にいえば、それが彼女の「実存」なのです。彼女は彼女自身を小娘のように純粋に生きているだけなのだと、読みたいところです。親から与えられた生活を忠実に守って、その中だけで生きているのです。

そういう幼さ、純粋さ、それを、作者はいとおしいものと思っているようなのです。》

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