【現代語訳】

「五月五日が、五十日に当たるだろう」と、人知れず日数を数えなさって、どうしているかといとしくお思いやりになる。

「何につけてもどんなにでも立派にでき、嬉しいことであろうに。ままならぬことだ。選りに選ってあのような土地に、不憫な境遇で生まれてきたことよ」とお思いになる。

もし男君であったならばこんなにまではお心におかけにならないだろうが、恐れ多くもおいたわしく、ご自分の宿世もこのご誕生のために一時不遇であったのだとお思いになる。
 お使いの者をお立てになる。「必ずその日に違わずに到着せよ」とおっしゃったので、五日に到着した。ご配慮の品もまたなく結構な有様で、実用的な贈り物までもある。
「 海松や時ぞともなき蔭にゐて何のあやめもいかにわくらむ

(いつも変わらない田舎にいたのでは、今日が五日の節句の五十日の祝とどうして分

ろうか)
 飛んで行きたい気持ちです。やはりこのまま過していることはできないから、ご決心をなさい。大丈夫、心配するようなことは決して」とお書きになっている。
 入道は、いつもの嬉し泣きをしている。このような時には、生きていた甲斐があると貝の顔になって泣くのも、無理はないと思われる。
 こちらでも何やかや盛大に準備していたが、このお使いが来なかったら、闇夜の錦のように見栄えもなく終わってしまったであろう。乳母も、この女君のしみじみと理想的な人柄なのをよい話相手として、憂き世の慰めにしているのであった。

明石の君にはこの乳母に劣らない女房を縁故を頼って迎えて付けていたけれども、すっかり落ちぶれた宮仕え人で、出家でもしようかと思いながら残っていた人だったのに対して、この人はこの上なくおっとりとして気位が高い。聞くに値する世間話などをして、大臣の君のご様子や、世間から大切にされていらっしゃるご評判なども、女らしいあこがれから心にまかせて果てもなく話をするので、

「なるほど、このように思い出して下さるよすがを残した自分も、たいそう偉いものだ」とだんだん思うようになるのであった。

乳母は、お手紙を一緒に見て、心の中で、

「ああ、こんなにも思いがけない幸福な運命のお方もあるものだわ。不幸なのはわたしだ」と、つい思い続けられるが、「乳母はどうしているか」などと、やさしく案じて下さっているのも、もったいなくて、何事も慰められるのであった。

 

《『評釈』によれば、「当時は誕生祝いとしては、生後五十日めの日の祝宴を、もっとも重しとする」のだそうです。

そして、五月五日は端午の節句ですが、ウイキペデイアが「日本においては、男性が戸外に出払い、女性だけが家の中に閉じこもって、田植えの前に穢れを祓い身を清める儀式を行う五月忌みという風習があり、これが中国から伝わった端午と結び付けられた。すなわち、端午は元々女性の節句だった」という、興味深い説を載せています。もしこれが本当なら、この姫君の五十日の祝はひときわめでたいものであったわけです。

作者がことさら「五月五日」をその日としたところを見ると、確かにそういうことがあったのではないかと思われます。

源氏は盛大な贈り物を届けます。入道は財力の限りを尽くして祝の支度をしていたのですが、「このお使いが来なかったら、闇夜の錦のよう」だったと、うれし涙にくれます。

乳母は、この頃にはもう明石での立場を確保したようで、都での源氏のすばらしい様子を伝える重要な役目を担っています。

その話には「女らしいあこがれから(原文・女ごこちにまかせて)」いささか誇大な尾ひれが付いた部分もあったでしょうが、明石の君は、その話を聞いて、そういう大変な人に大事にされている自分に、やっといくらかの自信を持ちます。彼女にとって、今、自信ほどほしいものはない時ですから、乳母は大きな仕事をしているわけです。

一方で乳母は「故院にお仕えしていた宣旨の娘、宮内卿兼宰相で亡くなった人の子」(第二章第二段)として「気位が高い」人でもありましたから、田舎娘に過ぎないこの姫君が、源氏からこうした驚くべき扱いを受けていることをいくらかねたましく思わないでもなかったのですが、源氏の手紙に「乳母はどうしているか」という一言があったことで、すっかり気をよくして、こちらも自信を持つのでした。

源氏の気配りは、太陽の光のように、その手の届くところ、あまねくみんなに幸福を与えていきます。》

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