【現代語訳】1

 翌年の二月に東宮の御元服の儀式がある。十一歳におなりだが、年齢以上に大きくおとなびて美しくて、まるで源氏の大納言のお顔をもう一つ作ったようにお見えになる。お二人がたいそう眩しいまでに光り輝き合っていらっしゃるのを、世間の人々は素晴らしいこととお噂申し上げるが、母宮はまったくいたたまれぬ思いで、どうにもならないことにお心をお痛めになる。
 主上におかれても、御立派だと拝しあそばして、御位をお譲り申し上げなさる旨などを、やさしくお話し申し上げあそばす。
 同じ月の二十日過ぎ、御譲位の事が急だったので、大后はおあわてになった。
「何の見栄えもしない身の上となりますが、ゆっくりとお目にかからせていただくことを考えているのです」といって、お慰め申し上げあそばすのであった。

東宮坊には承香殿の皇子がお立ちになった。

世の中が一変して、うって変わってはなやかなことが多くなった。源氏の大納言は、内大臣におなりになった。席がふさがって余裕がなかったので、員外の大臣としてお加わりになったのであった。


《譲位の準備が進み、東宮の元服です。東宮とは、桐壺院と藤壺の子ということになっていますが、もちろん実は源氏と藤壺の間の子です。「まるで源氏の大納言のお顔をもう一つ作ったようにお見えになる」というのも自然なことで、藤壺はまさに「まったくいたたまれぬ(原文・かたはらいたき)」思いで心を傷めています。

 世の中はそんなこととは思いもしないで、大きな火種を深い埋み火として、すべてが着々と進みます。

 「主上におかれても…」の一文や、大后を慰める言葉が、朱雀帝についていろいろなことを思わせます。

位を譲るべき、自分の子ではない東宮を「御立派だ」と思って見、さらにその東宮に譲位のことを「やさしく(原文・なつかしう)」話して聞かせるなど、いかにもナイーブな人柄が感じられます。

 大后としては、自分の知らぬ間に事が運んだようで、「おあわてになった」とありますが、おそらく大いに怒ったことでしょう。それに対しての慰めの言葉も、彼女にとって慰めとは言い難い、あまりに優しい言葉です。

 いずれも、政治の世界に君臨するには不似合いと思われる、帝の素直な気持ちからでたものと思われます。

そして作者は、そういう帝を、決して否定的にではなく、あくまでも女性の視線から好ましい男性として描いているようです。

 東宮の元服に続いて、すぐその同じ月に譲位のことがあって、朱雀帝は退き、新帝即位、新東宮には明石の巻(第四章第一段)で紹介された皇子が立って、世の中が一変します。》

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