【現代語訳】2
 入道は今日のお支度をたいそう盛大に用意した。お供の人々、下々の者まで、旅の装束が立派に調えてある。いつの間に準備しおおせたのだろうかと思うほどである。源氏の御装束はいうまでもない。御衣櫃を幾棹となく荷なわせお供をさせる。きちんとした都への土産にすべきお贈り物類は立派な物で、配慮の届かないところがない。今日お召しになる狩衣のご装束に、
「 寄る波に立ちかさねたる旅衣しほどけしとや人のいとはむ

(ご用意致しました旅のご装束は、寄る波の涙に濡れていまので、嫌だとお思いにな

りましょうか)」
と添えてあるのをお目に留められて、慌ただしい中であるが、
「 かたみにぞ換ふべかりける逢ふことの日数隔てむ中の衣を

(お互いに形見として着物を交換しよう、また逢うまで多くの日数を隔てる仲なのだ

から)」
とおっしゃって、「せっかく作ってくれたから」と言って、お召し替えになる。お身につけていらっしゃったものをお遣わしになる。本当に、もう一つお偲びするよすがを添えた形見のようである。素晴らしいお召し物に移り香が匂っているのを、どうして相手の心にも染みないことがあろうか。入道は、
「きっぱりと世を捨てました出家の身ですが、今日のお見送りにお供申しませんことが」などと申し上げて、顔をゆがめて泣いているのも気の毒だが、若い人はきっと笑ってしまうであろう。
「 世をうみにここらしほじむ身となりてなほこの岸をえこそ離れね

(世の中が嫌になって長年この海浜の汐風に吹かれて暮らして来ましたが、なお依然として子の故にこの岸を離れることができずにおります)

 娘を思う親の心は、ますます迷ってしまいそうでございますから、せめて国境までなりとも」と申し上げて、
「あだめいた事を申すようでございますが、もしお思い出しあそばすことがございましたら」などと、ご意向を伺う。

たいそう気の毒にお思いになって、お顔の所々を赤くしていらっしゃるお目もとのあたりなどが、何ともいいようなくお見えになる。
「放っておきがたい事情もあるようなので、きっと今すぐに私の気持ちもわかって下るだろう。今はただこの住まいが見捨てがたいばかりです。どうしたものでしょう」とおっしゃって、
「 都出でし春の嘆きに劣らめや年経る浦を別れぬる秋

(都を立ち去ったあの春の悲しさに決して劣ろうか、年月を過ごしてきたこの浦を離

れる悲しい秋は)」
とお詠みになって、涙をお拭いになると、入道はますます分別を失って、ますます涙にくれる。立居もままならず転びそうになる。

 

《入道は、財力と思いの限りを尽くして、源氏を送り出そうとします。贈り物の衣裳に明石の君の歌が添えられていました。これもまた疑問文で、源氏に問いかける言葉です。それはあたかも寄りすがるような思いがにじんで源氏に纏い付き、一言でも多く源氏からの言葉を耳に残したいという思いからのように聞こえます。

源氏は着替えて、着ていたものを与え、香り高い薫き物の匂いが流れます。

出家ながら入道も心を打たれ、いよいよの別れとあって、「顔をゆがめて泣いている」というのですが、原文は「かひをつくる」(口がへの字になり、蛤の形に似るから出たと言う。海辺であるからこの語を用いた云々・『評釈』)で、たいへんユーモラスな表現です。「若い人ならきっと笑ってしまう」と添えられていますが、これもまたやはりボルゴンスキー公爵(第二章第一段)的で、この人も純粋な思いが余って振る舞いが滑稽になるようです。

彼は、その悲しみの中で、娘のためにせめて源氏の内意の一端を、と語りかけます。源氏は泣いて応えるのですが、同じ泣くのでも、入道の場合は滑稽で、源氏は「何ともいいようなくお見えになる」という、大きな差があるのはいかんともしがたいところです。

その返事は、一読、ずいぶん薄情に聞こえますが、遠回しの言い方です。原文は「思ひ捨てがたき筋もあめれば、今、いとよく見なほしたまひてむ。ただこの住処こそ見捨てがたけれ」です。身重になった娘のことは放っては置かない、そのことはすぐに再び会えるように行動で示すから、分かってもらえるだろう。

「今はただこの住まいが見捨てがたいだけなのだ」は、将来のことは私はもう決めているのだが、自分でそのことを承知していてもなお、今のこの別れは、堪えがたく悲しく思われる、それほどあの娘をいとおしく思っているのだ、と言っているのでしょう。

入道が「立居もままならず転びそうになる」のもまた、ご愛敬といったところで、「なみはずれた思いこみの強さが…読者の微笑みをさそう。そうしなくては、光る源氏ともあろう人が、明石ごとき地で国守の娘ごときに、かくの如き愛情を示すことに、読者は反撥を感ずるであろう」と『評釈』が言います。》

 

※ 蛇足ながら、年の暮れですので、一言ご挨拶を。

  まったく個人的なつれづれのすさび事を覗いていただいて、大変ありがとうございます。今年一月四日から、何とかおおむね一年を続けて来ることができましたのは、やはり読んで下さる方があると思えることが、大きな支えでした。

  やっと十三巻が終わりかけてきたところですから、五十四巻の終わりにたどり着くのは三年以上後のことになりそうです。私にとっては「はやぶさ2号」の旅のような長い旅のように思われますが、ともかく一日一日の積み重ねと心得て、つたないながら読み続け書き続けして行きたいと思っています。

  お暇な折がありましたら、今日も元気でやっておるかと、また覗いてみて下さい。

  では、また明日お目にかかります。どうかよいお年をお迎えください。

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