【現代語訳】2

肱笠雨とかいうものが降ってきてじっとしていられないので、皆がお帰りになろうとするが、笠を取る暇もない。思いもしないことで、いろいろと吹き散らしてこの上ない大風である。波がひどく荒々しく打ち寄せてきて、人々の足も地につかないようである。海の面は、衾を広げたように一面にきらきら光って、雷が鳴りひらめく。落ちてきそうな気がして、やっとのことで家にたどり着いて、
「このような目には遭ったこともないな」
「風などは吹くが、前触れがあって吹くものだ。あきれたことで珍しい」とおろおろしているが、雷は依然として止まず鳴り響いて、雨脚は当たる地面を突き通してしまいそうに音を立てて落ちてくる。「こうして世界は滅びてしまうのだろうか」と、心細く思いうろたえているが、君は落ち着いて経を誦していらっしゃる。
 日が暮れると、雷は少し鳴り止んだが、風は、夜も吹く。
「たくさん立てた願の力なのだろう」
「もうしばらくこのままだったら、波に呑みこまれて海に入ってしまうところだった」
「高潮というものに、あっという間に人の命がそこなわれるとは聞いているが、まこと、このようなことは、まだ見たこともない」と言い合っていた。
 明け方、みな寝ていた。君もちょっと寝入りなさると、誰ともわからない者が来て、
「どうして、宮からお召しがあるのに参上なさらぬのか」と言って、手探りで捜しているように見るうちに、目が覚めて、

「さては海龍王が、美しいものがひどく好きなもので、魅入ったのであったな」とお思いになると、とても気味が悪く、ここの住まいが耐えられなくお思いになった。

 

《のどかだった天気が一変して、突然、嵐になりました。

「肱笠雨」というのが面白い言い方です。肱笠雨は「笠が間に合わず、肱をかざし、袖を笠にするほど急に降ってくる雨」(『集成』)のことだそうで、思わず葛飾北斎の絵「駿州江尻」を思い出す、なんとも庶民的な光景を思い描かせる命名です。そこで貴族は知らない生活感なので「とかいうもの」と続きます。

 雨が「雨脚は当たる地面を突き通してしまいそうに」降ってくるという表現も、迫力が感じられて印象的です。私は夕立などの折々にこの言葉を思い出します。

 明け方源氏は「誰ともわからない者」が来た夢を見るのですが、そこでまた彼は私たちの全く想定外のことを思って驚かせてくれます。

「さては海龍王が、美しいものがひどく好きなもので、魅入ったのであったな(原文・いといたうものめでするものにて、見入れたるなりけり)」と思ったというのです。自分がうつくしいので海龍王に魅入られたのだと思ったのでした。

『光る』も、「須磨」で一番面白いのはここだと言い、「丸谷・このヌケヌケとした味ね(笑い)。ぼくはここに平安朝的なものがすべて集約されている気がする。」「大野・例の朧月夜との密会が右大臣に見つかった時の源氏の態度と一脈つながっている。」「丸谷・しゃあしゃあとしてね。ここでは、自分が美なるものであると思い込んでいる。」と言っています。

『光る』同様、なんとまあナルシストであることよと呆れるのですが、それがまた、後では海龍王の仕業ではなかったことが分かるので、そこで思い出すと、またおかしいところです。

さて、この嵐は、この後、次の明石の巻に移ってなお十日あまり続くという大変なものだったのでした。》

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