【現代語訳】1

 すっかり明けたころにお帰りになって、東宮にもお便りを差し上げなさる。藤壺宮が王命婦をお身代わりとして伺候させていらっしゃったので、そのお部屋に宛てて、
「今日、都を離れます。今一度参上せぬままになってしまいましたのが、数ある嘆きの中でも最も悲しく存じられます。すべてご推察いただき、啓上してください。
  いつかまた春の都の花を見む時うしなへる山賤にして

(いつ再び春の都の花盛りを見るでしょうか、時流に見捨てられた山賤の身で)」
 桜の花が散ってまばらになった枝に結び付けていらっしゃる。

しかじかですと御覧に入れると、幼心にも真剣な御様子でいらっしゃる。
「お返事はどのように申し上げましょうか」と啓上すると、
「少しの間でさえ見ないと恋しく思われるのに、まして遠くに行ってしまったらどんなにか、と言いなさい」と仰せになる。「あっけないお返事だこと」と、いじらしく拝する。

命婦は、どうにもならない恋にお心のたけを尽くされた昔のことや折々のご様子が、次々に思い出されるにつけても、何の苦労もなしに自分も相手もお過ごしになれたはずの世の中を、ご自分から求めてお苦しみになったのを、悔しく、自分一人の責任のように思われる。お返事は、
「とても言葉に尽くして申し上げられません。御前には啓上致しました。心細そうにお思いでいらっしゃる御様子もおいたわしうございます」と、とりとめないのは、心が乱れているからであろう。
「 咲きてとく散るは憂けれどゆく春は花の都を立ち帰り見よ

(咲くとすぐに散ってしまう桜の花は悲しいけれど、過ぎゆく春はまた帰ってきます、

またお帰りになって東宮の御代を御覧下さい)
 季節がめぐり来れば」
と申し上げて、その後も悲しいお話をしあって、御所中、声を抑えて泣きあっていた。
 一目でも拝し上げた者は、このようにご悲嘆のご様子を嘆き惜しまない人はいない。まして、平素お仕えしてきた者は、ご存知になるはずもない下女、御厠人まで、世にまれなほどの手厚いご庇護であったのを、「少しの間にせよ、拝さぬ月日を過すことになるのか」と、思い嘆くのであった。

《「王命婦」というのは藤壺の侍女で、源氏を藤壺に導いた人です。主人の入道に殉じて出家しました(賢木の巻第五章第三段)。「それが東宮に付いていると言うのはおかしい。作者の誤りである。」と『評釈』は言います。確かに藤壺にしてみればこの人のせいで煩悶を抱えることになったわけですし、東宮はそれによって生まれた人ですから、その側のこの人を付けるというのは、少し無理のある話のようにも思われます。しかし逆に、例えば東宮の周辺でことが露見しそうな噂がくすぶった折などには、事情を知っている者の方がきちんと対処してくれるとも言えます。

差しあたり、ここで源氏が東宮に挨拶するのには、彼女がここにいるのは、その仲立ちとして適切な人と思われ、いい場面になりますので、私たちは承認して読むことにします。

源氏は東宮への離京の挨拶の手紙を、直接ではなく、この命婦宛に送って言伝を頼みます。

それによって、源氏の東宮への憚りが垣間見え、命婦と東宮の会話が描かれることで東宮の様子も描かれ、また命婦の過去への思いが吐露される、というように、それぞれの心の内が語られることになります。

東宮からのお言伝に命婦は「あっけないお返事だこと(原文・ものはかなの御返りや)」と思います。東宮のお言葉の原文は「しばし見ぬだに恋しきものを、遠くはましていかに」というものでした。『評釈』は「七・七と続け、七・三で終わっている。内容の率直さも涙をさそうが、この歌を詠まんとする努力を秘めて、しかも完成しえなかった口つきは、内容とともに…読者のあわれをさそうであろう」と言います。

命婦は、源氏と藤壺の二人の逢瀬がそもそも自分が導きをしたことから始まって悲劇を招いたこと思って折々の思い出を辿り、心を傷めながら返事を書きます。

それによって読者も、一つの大きな区切りとして、二人の長かった道程を思い返すことになります。》

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