巻十一 花散里 光る源氏の二十五歳夏、近衛大将時代の物語

花散里の物語

第一段 花散里訪問を決意

第二段 中川の女と和歌を贈答

第三段 姉麗景殿女御と昔を語る

第四段 花散里を訪問


 

【現代語訳】

 人知れず、ご自分から求めての物思いは、いつものことのようであるが、このように世間一般のことにつけてまでも、困ったことになったとお悩みになることばかりが増えてゆくので、何となく心細く、世の中をおしなべて嫌にお思いになるが、そうも行かないことが多いのだった。
 麗景殿の女御と申し上げた方は、御子もいらっしゃらず、桐壺院が御崩御あそばした後、ますますお寂しいご様子を、わずかにこの大将殿のお心づかいに庇護されて、お過ごしになっているらしい。
 その御妹の三の君は、宮中辺りでちょっとお逢いになった縁で、例のご性格なので、すっかりお忘れにはならず、かといって格別のお扱いになるというのでもないので、女君がもの思いの限りを尽くしていらっしゃるらしいのを、この頃何もかもにつけての物思いにお悩みになっていらっしゃる世の中の無常をそそる種の一つとして、お思い出しになると、抑えきれなくて、五月雨の空が珍しく晴れた雲の切れ間にお出向きになる。


《巻の名前は第三段で詠まれる源氏の歌に由来します。

さて、源氏の藤壺や朧月夜の君への思いは、表向き、誰も知らないことになっています。そういう、源氏が自分でまいた種でもの思いするということは、「いつものことであるが」と、作者は新しい巻を皮肉に書き起こします。

しかし源氏にとって、そういうもの思いの他に、新たに政治的な駆け引き、権力争いの問題まで被さってくるというのは、想定を越えた煩わしさです。

彼は、またしても出家を思わないではないのですが、「そうも行かないこと」が、色々あるのです。

その一つが、と言って、新しい女性の物語が始まります。桐壺帝の時の麗景殿の女御であった方の妹君で、この物語では、全く初めての登場です。

以前からの交際のようですが、「格別のお扱いになるというのでもない」方で、女君の方がひとり「もの思いの限りをつくしていらっしゃる」のでしたが、源氏は「この頃何もかもにつけての物思いにお悩みになっていらっしゃる世の中の無常をそそる種の一つとして」ふと思い出して訪ねていきます。大変分かりにくい気持ちの動きのように思われますが、つまりは他のことでずいぶんな物思いをしていて(朧月夜の君のことで当面彼はそれについては事欠かないでしょう)、その合間に、そういえばそういう人がいた、とふと思い出したら、その人もあのまま放ってはおけないと気になりだして、様子を窺いに出かけた、というようなことなのでしょうか。

前にも書きましたが、こういう男性は、普通に考えれば、女性にとって大変厄介な相手であろうと思われます。待ちあぐね、待ちあぐねして、堪えられずに思い切ろうとする頃になって、またふらりとやってきて、妙に期待を抱かせる、ある意味で、許し難い男です。

それでも作者は、源氏を咎めることがまったくありません。それはこの時代、身分の不安定な女性にとって、一度関係のできた女性を決して最後まで見捨てることがない男性は、もっとも頼りになる、つまりもっとも男らしい人であったからでしょう。

前の巻の女性たちがそれぞれに濃厚な自己を持っていたのに比べて、この巻の女性は、極めて静かでゆかしい人たちです。その分余計に源氏の好意が光るとも言えます。

ところで「お思い出しになると、抑えきれなくて」というのが、いささか唐突で、逆に、ここにこの人々が出てこなくてはならないストーリー上の必然性が薄いことを明かしているように思われますが、それはこの巻の役割にも関係するはずで、それは最後に触れることにします。》



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