【現代語訳】
 夏の雨が静かに降って所在ないころ、中将が適当な詩集類をたくさん持たせて参上なさった。殿でも文殿をお開けになって、まだ開いたことのない御厨子類の中の、珍しい古い詩集で由緒あるものを少しお選びになり、その道に堪能な人々を、表立ってではないがたくさんお呼びになる。殿上人も大学の人も、たいそう多く集まって、左方と右方とに交互に組をお分けになる。賭物なども又となく素晴らしい物で競争し合った。
 韻塞ぎが進んで行くにつれて、難しい韻の文字類がとても多くて、世に聞こえた博士連中などがまごついている箇所を時々口にされる様子は、実に深い学殖である。
「どうして、こうも何事もおできになるのだろう。やはり前世の因縁で、何事にも人に優っていらっしゃるのだなあ」と、お褒め申し上げる。最後には右方が負けた。

 二日ほどして、中将が負け饗応をなさった。大げさではなく、優美な桧破子類、賭物などがいろいろとあって、今日もいつものように人々を多く招いて、漢詩文などをお作らせになる。階のもとの薔薇がわずかばかり咲いて、春秋の花盛りよりもしっとりと美しいころなので、くつろいで合奏をなさる。
 中将のご子息で今年初めて童殿上する、八、九歳ほどで、声がとても美しく笙の笛を吹いたりなどする子を、かわいがりお相手なさる。四の君腹の二郎君なのであった。世間の心寄せも重くて、特別大切に扱っている。気立ても才気があふれ、顔形も良くて、音楽のお遊びが少しくだけてゆくころ、「高砂」を声張り上げて謡う、とてもかわいらしい。

大将の君がお召物を脱いでお与えになる。いつもよりはお乱れになったお顔の色つやは、他に似るものがなく見える。羅の直衣に単重を着ていらっしゃるので、透いてお見えになる肌がいよいよ美しく見えるので、年老いた博士たちなどは遠くから拝見して、涙を落としながら座っている。「あはましものを、さゆりばの」と謡い終わるところで、中将が源氏にお杯を差し上げなさる。
「 それもがと今朝ひらけたる初花におとらぬ君がにほひをぞ見る

(見たいと思っていた今朝咲いた花に劣らぬあなたを見ることとです)」
 苦笑して、お受けになる。
「 時ならで今朝咲く花は夏の雨にしをれにけらしにほふほどなく

(時節に合わず今朝咲いた花は夏の雨に萎れてしまったらしい、美しさを見せる間も

なく)
 すっかり衰えてしまったものを」と、陽気に戯れて、酔いの紛れの言葉とお取りなしになるのを、お咎めになりながら、無理に杯をお進めになる。
 多く詠まれたらしい歌も、このような時の真面目でない歌を数々書き連ねるのも、はしたないわざだと、貫之の戒めていることであり、煩わしいのでここで措いておく。すべてこの君を讃えたものばかり、和歌も漢詩も詠み続けた。ご自身でもたいそう自負されて、「文王の子、武王の弟」と、口ずさみなさった自認のお言葉までが、ほんとうに立派である。「成王の何」とおっしゃろうというのであろうか、それだけはさすがに自信がないことだろう。
 兵部卿宮も常にお越しになっては、管弦のお遊びなども嗜みのある宮なので、華やかなお相手である。



《韻塞ぎというのは「古詩などの韻を踏んであるところを隠し、詩の内容から、隠してある韻字を当てる遊び」(『集成』)で、『評釈』は、「当時の人々はずいぶん熱中したものらしい」と言っています。また「左方と右方」は、場の最上位の人が左方に入る団体戦ということで、ここでは源氏が左方に、そして右方の筆頭には中将が入ったことになります。

知識と文学的センスが問われる遊びであるわけですが、こういうことをやっても、大学寮の学者など専門家のいる中で相変わらず源氏がその才能を発揮して、人々を驚かし、結局はその左方が勝つことになります。

大人の遊びはしばしば、遊び自体よりも、その後の宴の方が本来の狙いであることは、昔も今も変わらないようで、韻塞ぎで負けた中将が二日後に饗応をして、華やかで賑やかな宴となります。その日は中将が次男を同行させました。なかなか美貌で才気煥発、中将の秘蔵っ子のようです。それにしても、右大臣の姫のお子ということで、あえて連れてきたのには何か特別な意味があるのでしょうか。源氏はそういうことは意に介さず、その子の見事な謡いに褒美を与えました。度量の広さを示したというところでしょうか。

 無聊を慰める賑やかな集いに、源氏はつい「文王の子、武王の弟」とつぶやきます。これは『史記』にある周公の言葉で、次に「我天下に於いて亦賤しからず」と続くのだそうで、源氏から見れば、桐壺帝が文王、兄の朱雀帝が武王ということになります。彼の消えやらぬ昂然たる自負の気持ちが覗いたわけですが、それを受けて「『成王の何』と、おっしゃろうというのであろうか」とあります。これは草子地で、成王は武王の子、例えを続ければ、東宮に当たります。そこで作者は、それならあなたは東宮の何だと名乗るつもりですか、名乗られないでしょう、と源氏に問いかけていることになります。

 そのように書くことによって、この場でもてはやされている源氏の蔭の部分を読者に意識させます。決してわが世の春と浮かれていい場合ではないのですよ、というふうに。本当にこの作者は、物事を一面的には描かない人です。同時に、作者の学殖とエスプリを披露したわけです。

 途中、「階のもとの薔薇がわずかばかり咲いて」とあって、私はこの時代にバラがあったのかと驚きましたが、調べてみると、薔薇は中近東から東アジアが原産地のようですから少しも不思議ではないわけです。ここは『白氏文集』の中に「階のもとの薔薇は夏に入って開く」とあるのによっているのだそうです。》

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