【現代語訳】2
 だんだんと人の気配が静かになって、女房たちが鼻をかみながら、あちこちに群れかたまっている。月は隈もなく照って、雪が光っている庭の様子も、昔のことが思い出されて、とても堪えがたい思いにおなりになるが、じっとお気持ちを鎮めて、
「どのように御決意になって、このように急な」とお尋ね申し上げなさる。
「今初めて、決意致したのではございませんが、もの騒がしいようになってしまったので、決意も揺らいでしまいそうで」などと、いつものように、命婦を通じて申し上げなさる。
 御簾の中の様子は、おおぜい集まって伺候している女房が、衣ずれの音もひっそりと気をつけて振る舞い、身じろぎするにつけて、悲しみを慰めがたそうな気配が、外へ漏れくるように感じられて、もっともなことと悲しくお聞きになる。
 風が激しく吹いて、御簾の内の匂いがたいそう奥ゆかしい黒方の香に染み込んで、源氏の所にも名香の煙がほのかに匂ってくる。大将の御匂いまで薫り合って素晴らしく、極楽浄土が思いやられる今夜の様子である。
 春宮からの御使者も参上する。お話をなさった時のことをお思い出しになると、固い御決意も堪えがたくて、お返事も最後まで十分にお申し上げあそばされないので、大将が言葉をお添えになったのであった。
 誰も彼も皆が悲しみに堪えられない時なので、お思いになっておられる事なども、言い出すことがおできにならない。
「 月のすむ雲居をかけてしたふともこの世の闇になほやまどはむ


(月のように心澄んだ御出家の境地をお慕い申しても、私はなお御子ゆえのこの世の

煩悩に迷い続けるのでしょうか)
 と存じられますのが、どうにもならないことで。出家を御決意なさったことのうらやましさは、この上もなく」とだけ申し上げなさって、女房たちがお側近くに伺候しているのでいろいろと乱れる心中の思いさえお表し申すことができないので、胸がいっぱいである。
「 おほかたの憂きにつけてはいとへどもいつかこの世を背き果つべき

(世間一般の嫌なことからは離れましたが、子どもへの煩悩はいつになったらすっか

り離れ切ることができるのでしょうか
 一方では、煩悩を断ち切れずに」などと、半分は取次ぎの女房のとりなしであろう。

悲しみの気持ちばかりが尽きないので、胸の苦しい思いで退出なさった。



《ひっそりとなった屋敷の雪の庭を満月が冷たく皓々と照らしています。小林秀雄の「お月見」ではありませんが、明るい月は、そうでなくてもものを思わせます。まして今夜のふたりにとっては、殊の外身に沁みる情景です。

源氏は、ようやく突然の出家の訳を尋ねますが、もちろんそれへの答えはなく、型どおりの返事だけ、それも命婦を通してのものです。そしてあとはまたひっそりとなります。

この間までは「いつもお側近くに仕えさせておられる者は少な」かった(第三章第一段2節)のですが、さすがに今日はたくさんの女房が控えています。それでも皆、息を潜めるようにしていて、藤壺のいる御簾の中からは、わずかに女房たちの身じろぎする衣ずれの音とすすり泣きの声が漏れるだけです。

一瞬、静寂を破って風が渡り、香のよい匂いが一面に漂い拡がって、出家したばかりの中宮を中心に極楽浄土が現前したかのようです。

そこに東宮からの使いが訪れて、一同は再び現世に引き戻されて、新しい涙に暮れるのでした。源氏も誰も、何も言い出すことができません。重苦しい中でかろうじて二人の歌の贈答がありますが、語りうる話題はもう御子のことしかないのでした。それに加えて藤壺には源氏を前にすれば、愛憎絡み合ってこみ上げてくる思いがあふれます。心身ともに堪えがたい思いでいる彼女について、「(返事の)半分は取次ぎの女房のとりなしであろう」と作者は言います。

気持ちの晴れないままに源氏は退出します。

『構想と鑑賞』がこの場面について「しめやかで物悲しさの情調がよくでている」と言い、その点ではまったくそうですが、ただ源氏は、結局、中宮の出家の原因の全てが自分にあるとは、まったく思い至らないままのようです。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ