【現代語訳】2

 東宮は、たいそうかわいらしく御成長されて、珍しく嬉しいとお思いになって、おまつわり申し上げなさるのを、いとしいと拝見なさるにつけても、御決意なさったことはとても難しく思われるが、宮中の雰囲気を御覧になるにつけても、世の中のありさまはしみじみと心細く、移り変わって行くことばかりが多い。
 大后のお心もとても気がかりで、このように宮中にお出入りなさるにつけても、体裁悪く何かにつけて辛いので、東宮のお身の上のためにも危険で恐ろしく、万事につけてお思い乱れて、
「御覧にならないで、長い間のうちに、姿形が違ったふうに嫌な恰好に変わりましたら、どのようにお思いあそばしますか」と申し上げなさると、お顔をじっとお見つめになって、
「式部のようになの。どうして、そのようにはおなりになりましょう」と、笑っておっしゃる。何とも言いようがなくいじらしいので、
「あの人は年老いていますので醜いのですよ。そうではなくて、髪はそれよりも短くして、黒い衣などを着て、夜居の僧のようになろうと思いますので、お目にかかることも、ますます間遠になるにちがいありませんよ」と言ってお泣きになると、真剣になって、
「長い間いらっしゃらなくては、恋しいのに」と言って、涙が落ちたので恥ずかしいとお思いになって、さすがに横をお向きになる、そのお髪はふさふさと美しくて、目もとがやさしく輝いていらっしゃる様子は、大きく成長なさるにつれて、まるで、あの方のお顔をそっくりお移ししたようである。歯が少し虫歯になって口の中が黒ずんで笑っていらっしゃる、その輝く美しさは、女として拝見したい美しさである。

「ほんとうに、こんなに似ていらっしゃるのが、心配だ」と、玉の疵にお思いなされるのも、世間のうるさいことが、空恐ろしくお思いになられるのであった。

 


《藤壺は、出家前の見納めにと、東宮に会いに行くのですが、会うと心が鈍ります。

その一方で、大后側からの圧力は強く、宮中も大后一色に変わっていて、自分が出入りすること自体が、東宮のためによくないようにも思われます。

思いを込めた藤壺とやっと六歳になった東宮とのあどけない会話が切なく交わされます。藤壺のそのことへの気持は、直接には何も書かれていませんが、不思議に直に感じられるような気がする場面です。東宮の言葉がこの年頃の子供らしくうまく書かれていて、いかにも素直な子という感じがするからでしょうか。

その中で、東宮の虫歯の歯に藤壺の目が止まり、それがまた、「輝く美しさ(原文・かをりうつくしき)」に見えるというのが、ちょっと不思議な感覚に思われますが、『集成』がお歯黒に染めた姿を連想したのだと言っていて、なるほどと思います。

お歯黒は私たちには異様に見えますが、やはり成人した女性の美しさの要素だったわけです。『堤中納言物語』の「虫めづる姫君」の話の中に「眉さらに抜きたまはず。歯黒め、…つけたまはず、いと白らかに笑みつつ(眉も整えず、お歯黒も…付けないままで白い歯を剥き出しにして笑いながら)」と、姫君の異様さを語るところがあって、確かにこう書かれると、真っ白い歯も十分異様な気がしてくるから不思議です。

それにしても、その容貌が源氏にそっくりであるのが、また、不安の種に思われるのでした。自分と源氏のことが露見するようなことがあれば、自分達はやむを得ないとして、このあどけない東宮にどれほどの問題が降りかかるか知れないのです。》


 


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