【現代語訳】2

 間もなく夜も明けて行こうか、と思われるころに、ちょうどすぐ側で、「宿直申しさぶらふ」と、声をはりあげているようである。「自分以外にも、この近辺で密会している近衛府の官人がいるのだろう。こ憎らしい傍輩が教えてよこしたのだろう」と、大将はお聞きになる。面白いと思うが、厄介な気がする。あちこちと探し歩いて、「寅一刻」と申しているようだ。女君が、
「 心からかたがた袖をぬらすかなあくとをしふる声につけても

(自分からあれこれと涙で袖を濡らすことです、夜が明けると教えてくれる声につ

けましても)」
とおっしゃる様子は、いじらしくて、まことに魅力的である。
「 嘆きつつわが世はかなく過ぐせとや胸のあくべき時ぞともなく

(嘆きながら一生をこのように過ごせというのでしょうか、胸の思いの晴れる間もな

いのに)」
 慌ただしい思いで、お帰りになった。
 夜の深い暁の月夜に、何ともいいようのなく深い霧が立ちこめていて、たいそうお忍びの姿で、お忍びらしく振る舞っていらっしゃるのが、他に似るものがないほどのご様子で、承香殿女御の兄君の藤少将が、藤壺から出て来て、月の光が少し蔭になっている立蔀の側に立っていたのを知らないで、お通り過ぎになったことはお気の毒であったことだ。きっとご非難申し上げるようなこともあるだろうよ。
 このような事につけても、よそよそしくて冷たい方のお心を、一方では立派であるとお思い申し上げてはいるものの、自分勝手な気持ちからすれば、やはり辛く恨めしい、とお思いになる時が多い。


《危険な密会のさなかに、作者はまたちょっとしたコントを織り交ぜます。

「宿直の官人は時刻になると、大将や中将などの上官のところへ行って、『宿直申しさぶらふ(宿直の者、ここにおります)』という」(『評釈』)のだそうです。どうやらこの夜、このあたりの女房のところにもう一人、中将か大将が忍んで来ている者がいて、「それをからかうつもりで、誰かいたずら者が、宿直の官人をよこしたに違いない」(同)のだと源氏は考えて、「おかしくはあるが、…鼻白む思いもする」(同)のでした。

「厄介な気がする(原文・わずらはし)」は、そうでなくても「いつもより端近なのが、何となく恐ろしく思わずにはいられない」(前節)という状態だったのですから、驚きもあったでしょうし、見つかる危険がその分大きいわけで、彼の困惑の気持です。

あわただしく帰っていくのですが、その姿も「他に似るものがないほどのご様子」で、一目で源氏と知れます。それを「承香殿女御の兄君の藤少将」に見られてしまいます。拙いことに、彼は「朱雀帝女御承香殿の兄弟で、今上に仕える人であり、その点で右大臣方につながる人」(『評釈』)だったのです。

そうとも知らないで、源氏は、尚侍の君はこのように機会を作ってくれるのに、藤壺が会ってくれないことを恨めしく思ったりしているのでした。そこでも「一方では立派であるとお思い申し上げてはいるものの」と一言付け加えていますが、それは逆に言えば、それだけ尚侍の君を軽く見ているのであって、作者は、男というものの勝手さを、実によく承知しているわけです。》にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ