【現代語訳】1

 年が改まったが、世の中ははなやかなことはなく静かである。まして大将殿は、もの悲しくて退き籠もっていらっしゃる。除目のころなどは、院の御在位中は言うまでもなく、御退位後も長い間変わることなく御門の周辺に隙間なく立て込んでいた馬、車が少なくなって、宿直の者の夜具袋などもほとんど見えず、長年仕えている家司どもだけがいて、特別に急ぐ様子もなさそうにしているのを御覧になるにつけても、「今後は、こうなるのだろう」と思いやられて、何とも心寂しく思われる。
 御匣殿(朧月夜の君)は、二月に、尚侍におなりになった。院の御喪に服してそのまま尼におなりになった方の替わりであった。高貴な家の出として振る舞って、人柄もとてもよくいらっしゃるので、大勢入内なさっている中でも、格別に御寵愛をお受けになる。大后は里邸にいらっしゃりがちで、参内なさる時のお局には梅壺を当てていたので、弘徽殿には尚侍がお住みになる。これまでお住みの登花殿が陰気であったのに対して、晴ればれしくなって、女房なども数えきれないほど参集して、華やいで陽気にしていらっしゃったが、お心の中では、あの思いがけなかった時のいろいろの事を忘れられず嘆いていらっしゃる。ごく内密に文を通わしなさることは、以前と同様なのであろう。

源氏は「噂が立ったらどうなることだろう」とお思いになりながら、例のご性癖なので、今になってかえってご愛情が募るようである。
 院の御在世中こそは遠慮もなさっていたが、大后の御気性は激しくて、あれこれと悔しい思いをしてきたことの仕返しをしよう、とお思いのようである。源氏にとって何かにつけて、具合の悪いことばかり生じてくるので、きっとこうなることとはお思いになっていたが、ご経験のない世間の辛さなので、世間に立ち交じっていこうというお気持ちにもなられない。


《後ろ盾の院だった崩御によって、源氏の周辺の様相は一変しました。新年を迎えても、除目(官吏の任命式、一月十日ごろ)の日を迎えても二条院邸はひっそりしたままです。

一方、右大臣方は勢いを持ってきます。その大きな鍵を託されて宮中に入った娘の朧月夜の君が「御匣殿」から「尚侍」に位が上がりました。これらの位は「本来は…宮中の御用を司る官なのであるが、このころになると、帝寵を受ける者もあり、公卿の娘で、尚侍から女御になった人もある」(『評釈』)ということで、この人も、この昇進によって弘徽殿に住まうほどに寵愛を受けるようになっていたようです。

その御匣殿は「あの思いがけなかった時のいろいろの事を忘れられず嘆いていらっしゃる」と、源氏への思いを強く抱いたままのようです。

一方で源氏も「今になってかえってご愛情が募るようである」のです。

こうして、凋落の中にいる源氏と、台頭しようとする側の象徴のような朧月夜君との間に「ごく内密に文を通わしなさる」ということが続きます。「例のご性癖」というのは、以前「普通とは違っためんどうな事には、きっと心動かすご性分」(第一章第四段)とあったことを言うのでしょうが、この時の源氏は、そればかりではないのではないか、という気もします。前々節(第二段1節)でも言いましたが、いま源氏は、往時に比べるとさまざまに絶望的な境遇にいます。庇護者の院は亡くなって権力からは遠ざかり、本当に愛する藤壺も遠くなって、思うに任せぬ事ばかりです。そんな中で危険な恋にでも手を出さなければやっていられない、せめてどこかで相手方の鼻を明かしてやりたい、そういう火遊びの思いも、心のどこかにあったのではないか、と考えると、源氏が身近に思われてくるように思いますが、どうでしょう。

もちろん作者はそんなふうには少しも書いていませんから、全くの勝手読みですが、全てを彼の「性癖」だけの所為にしてしまうよりも、自然な気がします。

さて、娘にそういうことがあっているなどとは夢にも知らない母の大后は、「御気性は激しくて、あれこれと悔しい思いをしてきたことの仕返しをしよう、とお思いのようで」、徐々に源氏に圧力を掛けて来るらしく、彼にとっては「ご経験のない世間の辛さ」です。

そうした中であることを考えれば、この火遊びは、やはりあまりに無謀な、あるいは思い上がりの過ぎた振る舞いと言わざるを得ません。

もっとも、さればこそ物語がおもしろくなるのではありますが。》

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