【現代語訳】2

 何やかやと女房を通じてのご挨拶ばかりで、ご自身はお会いんある様子もないので、「まことに面白くない」とお思いになって、
「このような外出も今では相応しくない身分になってしまったことをお察しいただければ、このような注連の外に立たせて置くようなことはなさらないで、胸に溜まっていますことをも晴らしたいものです」と、心を込めて申し上げなさると、女房たちは、
「おっしゃるとおりで、とても見てはいられませんわ」
「お立ちん坊のままでいらっしゃっては、お気の毒で」などと、お取りなし申すので、

「さてどうしたものか。ここの女房たちの目にも体裁が悪いだろうし、あの方も年甲斐もないとお思いになるだろうが、端近に出て行くのが、今さらで気後れすることだ」とお思いになるととても気が重いけれども、冷淡な態度をとるほど気強くもないので、とかく溜息をつきためらって、いざり出ていらっしゃったご様子は、まことに奥ゆかしい。
「こちらでは、簀子に上がるくらいのお許しはございましょうか」と言って、上がっておすわりになった。
 明るく照り出した夕月夜に、立ち居振る舞いなさるご様子は、美しさに似るものがなく素晴らしい。幾月ものご無沙汰をもっともらしく言い訳申し上げなさるのも、面映ゆいほどになってしまったので、榊を少し折って持っておられたのを、差し入れて、
「変わらない心に導かれて、神垣も越えて参ったのです。何とも薄情な」と申し上げなさると、
「 神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れる榊ぞ

(ここには人の訪ねる目印の杉もないのに、どう間違えて榊を折って持っていらっし

ゃったのでしょう)」

と申し上げなさると、
「 少女子があたりと思へば榊葉の香を懐かしみとめてこそ折れ

(少女子がいる辺りだと思うと、榊葉の香が慕わしくて探し求めて折ったのです)」
 周囲の神域らしい様子には憚られるが、御簾だけを引き被って、長押にもたれかかって座っていらっしゃった。
 思いのままにお目にかかることができ、相手も慕っているようにお思いになっておられた頃は、のんびりといい気になって、それほどまでご執心なさらなかったのだった。
 また、内心「どうにも、欠点があって」とお思い申してから後、やはり情愛も次第に褪めて、このように仲も離れてしまったのだが、久しぶりのご対面が昔のことを思い出させるので、感慨に胸が限りなくいっぱいになる。今までのことや将来のことが、それからそれへとお思い続けられて、心弱くお泣きになるのだった。

《御息所の立場は微妙です。

源氏と相愛の間柄だったこと、そしてこのごろ訪れが間遠になったことは周知のことです。そうなっていったわけは、御息所からすればあまりに年上だという問題があり、いつからか自分が愛されなくなったという思いがあり、その挙げ句に自分が生き霊となって源氏の前に姿を現してしまったという深い負い目があります。

源氏からは彼女の品格、教養の高さに気圧される気分だったことがあり、そして決定的だったのは、その生き霊のことがあります。しかし、その源氏の側の問題は誰にも語られず、女房たちは知るよしもありません。それを承知していてひとり負い目を感じている御息所は、会いたい思いがどれほどあっても、尻込みせざるを得ません。

そういう中ですっかり間遠になった男がはるばると会いに来たのです。

女房たちは、折角示された好意なのに、会おうとしない主人の振る舞いを、不可解に、さらにはよくないことと思って見ています。

会いたい思いと会ってはならないと戒める思いとに揺れ動いている中で、その女房たちの目を気にせずにはいられない(というのも、半ば自分への無意識の口実なのでしょうが)彼女は、とうとう「とかく溜息をつきためらって、いざり出ていらっしゃった」のでした。

源氏が長い無沙汰の照れ隠しに差し出した榊の小枝に対する御息所の歌は、今さら何をお間違えになって神域を破ってこんなところまで訪ねておいでになったのでしょう、という恨みを込めた皮肉の気持なのでしょう。しかしその底にかすかに、やはり源氏を上からたしなめるような、じらすような調子が(相聞の女性の歌にはよくあることではありますが)混じっているような気もします。

源氏は、こうして向き合ってみると、もともと魅力溢れる女性であり、まして今は間近な別れが前提であることもあって、昔の思いが蘇って思いがつのり、すまなさやいとおしさや別れの淋しさやで、泣かずにはいられない気持ちになります。》

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