【現代語訳】3

 「この姫君を、今まで世間の人も誰とも存じ上げないのは、いかにも軽く見えるだろう。父宮にお知らせ申そう」とお考えになって、御裳着のお祝いを、人に広くお知らせにはならないが、並々でなく立派にご準備なさるお心づかいなど、いかにも類のないくらいなのだが、女君はすっかりお疎み申されて、「今までずっと万事ご信頼申して、お側を放れ申し上げなかったのは、まつわり申し上げていたのは、我ながら浅はかな考えだった」と、ただただ悔しくお思いになって、まともには顔をお見合わせ申し上げようとはなさらず、冗談を申し上げなさっても、いやで迷惑なこととふさぎこんでおしまいになって、以前とはすっかり変わられたご様子を、おもしろくもいじらしくもお思いになって、
「今まで、お愛し申してきた甲斐もなく、『慣れはまさらぬ』ご様子が、辛いこと」と、お恨み申しておられるうちに、年も改まった。

 

《いよいよ源氏は若紫を世に公表することを考え始めます。

『評釈』は、実はこれは大変な決断なのだとして、源氏の後ろ盾については、帝は別として、現在「左大臣とのつながりは、今は幼い男児のみ」、そして「今の実権者右大臣の婿」になるつもりはない、つまり彼は「自分ひとりで世を渡って行けるつもり」の「見通しに欠ける、若いお坊ちゃん」ということになる、と言います。

押しも押されぬ他の二人の候補者を措いて、「みなし子の、勢力のない、若い女性の魅力にひかれて、こう決意」した、つまり身分階級という基本的社会秩序を考慮することを捨てて、一個人を伴侶として選んだことになるというわけです。

昔、例えば日本の戦前などにおいて、恋愛はふしだらなものとして蛇蝎のごとくに忌避されたわけですが、その内実は「ふしだら」という美学上の問題ではなくて、それがこのようにして社会秩序を壊していく極めて恐ろしい力を持っていたからなのです。

もちろん源氏にはそんな大それた考えはありません。若者はいつもそうなのです。自分に正直に(しばしば一時の衝動や独りよがりで)生きることによって、いつの間にか社会に楯突く形になってしまうのです。いま源氏にそれが何事もなく許されるのは、彼が超絶的に魅力の持ち主であることと、そして帝の御子であるからであるのはもちろんです。

さて、姫の存在を公的なものとするには、まずは姫の父である兵部卿の宮に話さなくてはなりません。

また、姫を掠ってきてからもう四年、姫も十四歳になります。御裳着(女子の成人式)のお祝いもしなくてはなりません。ちなみに源氏は二十二歳になっています。

源氏は楽しくその計画を立てるのですが、姫のご機嫌は依然として収まりません。

そういう姫を源氏は一貫して「かわいらしくもいじらしくも(原文・をかしうもいとほしうも)」思って見詰めています。彼には、あくまでも純真な新妻として見えているのです。

そしてそのことは、やはり姫が「女の悲しい運命を、痛いほどにかみしめた人」(『評釈』)というような、大きな心の傷を受けたわけではないということを傍証しているように、私には思われます。

さてこうして、すぐにも話は進みそうですが、これでまたしばらくこの姫は物語の表舞台から退き、話は別の方へと展開していきます。》


にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ