【現代語訳】

 その日は後宴の催しがあって、忙しく一日中お過ごしになった。箏の琴をお務めになる。昨日の御宴よりも優美に興趣が感じられる。藤壺は暁に御局にお上りになった。

「あの有明は、退出してしまったろうか」と心も上の空で、何事につけても手抜かりのない良清、惟光に命じて、見張りをさせておかれたところ、御前から退出なさった時に、
「たった今、北の陣から、あらかじめ物蔭に隠れて立っていた車どもが退出しました。御方々の実家の人がいました中で、四位少将、右中弁などが急いで出てきて、送って行きましたのは、弘徽殿方のご退出であろうと拝見しました。ご立派な方が乗っている様子がはっきり窺えて、車が三台ほどでございました」とご報告申し上げるにつけても、胸がどきっとなさる。

「どのようにしてどの君と確かめ得ようか。父大臣などが聞き知って、大げさに婿扱いされるのも、どんなものか。まだ相手の様子をよく見定めないうちは、厄介なことだろう。そうかと言って、確かめないでいるのも、それまた、誠に残念なことだろうから、どうしたらよいものか」とご思案に余って、ぼんやりと物思いに耽り横になっていらっしゃる。
「姫君は、どんなに寂しがっているだろう。何日も会っていないから、ふさぎこんでいるだろうか」と、いじらしくお思いやりなさる。

あの証拠の扇は、桜襲の色で、色の濃い片面に霞んでいる月を描いて、水に映している図柄は、よくあるものだが、人柄も奥ゆかしく使い馴らしている。「草の原をば」と詠んだ姿ばかりが、お心にかかりになさるので、
「 世に知らぬここちこそすれ有明の月のゆくへを空にまがへて

(今までに味わったことのない気がする、有明の月の行方を見失ってしまって)」

とお書きつけになって、取ってお置きになった。

 

《「藤壺は、暁に御局にお上りになった」というのは、入れ替わりに弘徽殿が退出したということのようです。そうすると、昨夜の姫君が里に下がるかも知れません。そこで「あの有明は、退出してしまったろうか」となるわけです。藤壺の名を出しながら、彼女への思いを一言も語らずに「あの有明」の君の話になるのは、ちょっと意外ですが、それほど彼の心を占めていたということでしょうか。

さて従者の報告を聞いて源氏は「すわ、かの女君よ、と恋の思いに胸をとどろかせ」(『評釈』)、「どのようにして、どの君と確かめ得ようか」と思案する中で、突然若紫のことを思い遣ります。そしてそれも一文だけで、すぐまた有明の女への思いに返ります。

このことについて『評釈』は「この物語が光る源氏の生活の一断面を物語っているのだということを示している。…近代小説のように主題に直結するプロットの緊密化を必ずしも第一義としない」と言っています。現実の場面としては確かにありそうなことで、人はどんなに大きな問題を考えている時でも、その合間に断片的にさまざまなことを思います。

当然藤壺のことを考えそうなところで、意外に考えず、関係なさそうなところで若紫を思い出す、生の現実では、そういうことはしばしばでしょう。

しかし、作者がそれを意識して語っているかと言えば、それは疑問無しとしません。作者は読者へのいわばリップ・サービスとして、かわいいヒロインの消息を間接的情報として提供したのではないでしょうか。》

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