【現代語訳】1 たいそう秘密にしているので、源氏の君は二人の仲をご存知ない。典侍はお見かけ申しては、まず恨み言を申すので、年の程もかわいそうなので、慰めてやろうとお思いになるが、その気になれない億劫さでたいそう日数が経ってしまったが、夕立があってその後の涼しい夕闇に紛れて、温明殿の辺りを歩き回っておられると、この典侍が琵琶をとても美しく弾いていた。御前などでも殿方の管弦のお遊びに加わりなどして、殊にこの人に勝る人もない名人なので、恨み言を言いたい気分で弾いていた折りとて、とてもしみじみと聞こえて来る。 君が、「東屋(戸を開けて下さい)」を小声で歌ってお近づきになると、 (誰も訪れて来て濡れる人もいない東屋に、嫌な雨垂れが落ちて来ます)」と嘆くのを、 「自分一人が怨み言を負う筋ではないのに、嫌になるな。何をどうしてこんなにしつこいのだろう」と、お思いになる。 (人妻はもう面倒です、あまり親しくなるまいと思います)」と言って、通り過ぎたいが、「あまり無愛想か」と思い直して、相手によることなので、少し軽薄な冗談などを言い交わして、これも珍しい経験だとお思いになる。 頭中将は、この君がたいそう真面目ぶっていて、いつも非難なさるのが癪なので、何食わぬ顔でこっそりお通いの所があちこちに多くあるらしいのを、「何とか発見してやろう」とばかり思い続けていたところ、おもしろい現場を見つけたという気分で、まこと嬉しい。「このような機会に、少し脅かし申して、お心をびっくりさせて、これに懲りたか、と言ってやろう」と思って、油断をおさせ申しあげる。 《源氏は、侍女が気の毒だから相手をしてやろうかとも思いながら(源氏は、末摘花の時にもあったように、しばしばこのように相手の女性をいたわり、思い遣って、サービス精神を発揮します、彼の根のまじめさを物語っています)、一方でそのかなり品のないことに疎ましい気持ちもあり、また音楽に「この人に勝る人もない名人」で、対話でも打てば響くといった対応ぶりなので、つい声を掛けてしまい、詠まれた歌には「どうしてこんなにしつこい」と思いながら、やはり「少し軽薄な冗談などを言い交わして」みたりなど、なんとも心定まらないままに、つかず離れず、しかしなんとなく近づいていく案配です。そのおずおずとした感じが至って滑稽に思われます。 それを頭中将はどこかから見ていたということのようで、笑いをこらえながらでしょう、この現場を押さえてポイントを稼ごうとの思いでいます。 ところで「頭中将は、この君がたいそう真面目ぶっていて、いつも非難なさるのが癪なので」とありますが、源氏にそんな資格があるとは、読者には到底思われず、大変意外です。それにこれまでにそのことは読者に知らされたことはありませんでした。 ともあれ、二人がそういう張り合った感じの男友達関係にあったということを認めて(それは末摘花の第三段あたりでも感じられたことですので)、ここからのドタバタを楽しむことにします。》
「瓜作りになりやしなまし(他のお方に靡こうか)」と、声はとても美しく歌うのが、ちょっと当てつけがましく気に食わない。「鄂州にいたという昔の人(白楽天の詩にある人)も、このように興趣を引かれたのだろうか」と、耳を止めてお聞きになる。弾き止んで、とても深く思い乱れている様子である。
「押し開いて来ませ」と、後を続けて歌うのも、普通の女とは違った気がする。
「 立ち濡るる人しもあらじ東屋にうたてもかかる雨そそきかな
「 人づまはあなわずらはし東屋のまやのあまりも馴れじとぞ思ふ
『評釈』は、こういう言い方で、書かれている以外に物語の周辺にさまざまなことがあっていることを示して、物語に幅を持たせていると言いますが、それは現代の読者にとってはいささか好意的すぎる解釈で、むしろその唐突感に戸惑わされる方が大きく思われます。
子供が紡いで聞かせる物語が往々にしてそういうことがあるように、この時代はまだ、そういう点ではかなりアバウトな意識だったのだと考える方が妥当なのではないでしょうか。
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