【現代語訳】2
朝晩のお側仕えにつけても、他の妃方の気持ちを不愉快にさせることばかりで、嫉妬を受けることが積もり積もったせいであろうか、とても病気がちになってゆき、何となく心細げに里に下がっていることが多いのを、ますますこの上なく不憫な方とおぼし召されて、人の非難にもおさし控えあそばすことがおできにならず、後世の語り草にもなってしまいそうなお扱いぶりである。
上達部や殿上人なども、困ったことと目をそらしそらしして、とても眩しいほどの御寵愛である。「唐国でも、このようなことが原因となって、国も乱れ、悪くなったのだ」と、しだいに国中でも困ったことだと、人々のもてあましの種となって、楊貴妃の例までも引き合いに出されそうになってゆくので、更衣にとってたいそういたたまれないことが数多くなっていくが、もったいない御愛情の類のないのを頼みとして、宮仕え生活をしていらっしゃる。
父親の大納言は亡くなって、母親の北の方が古い家柄の人で教養ある人なので、両親とも揃っていて今現在の世間の評判が勢い盛んな方々にもたいしてひけをとらず、どのような事柄の儀式にも対処なさっていたが、これといったしっかりとした後見人がいないので、こと改まった儀式の行われるときには、やはり頼りとする人がなく心細い様子である。
《そもそも日御子ともあろう人は、少なくとも理念として、それこそ太陽が光と熱の恵みを地上の全てのものにあまねく施すように、愛の満足を人民の全てに、なかんずく多くの妃全てに施すのが本来のあり方であるはずです。一人に愛情を注いだら、それで他への愛が枯渇してしまうようでは、帝王の資格はないでしょう。ところがこの帝は、あろうことか、更衣一人をまさに「偏愛」してしまうのです。
しかし、この帝は愚かな人ではありませんから、それがよくないことは、百も承知なのです。帝は「人の非難にもおさし控えあそばすことがおできにならず(原文・人のそしりをも、え憚らせ給はず)」と文は続きます。
この原文にもし「え」一文字がなかったら、この帝は強力な独裁者、あるいは無神経なワンマンとして描かれたことになるでしょう。それならそれで、一同が諦めて問題は生じなかったかも知れません。
「え」があることによって、帝は憚らねばならないことは解っているのだが、どうしてもそれが出来ないでいた、と作者は言います。そしてこの帝は決して単に情に流されてしまいやすい、だらしない男なのではないと思わせることが、少し後に語られます。
優れた人物が、ふとしたきっかけで避けられない出来事に巻き込まれて、その立場を失う、それが本来の悲劇の基本的な姿なのですが、この帝にはその主人公たる資質があります。
あとは起こってくる出来事が、読者から見てどれほど避けられないものと思えるかと、ということが物語の成否を決めるはずです。
さて、いったん生じたアンバランスは加速度的に大きくなります。帝は、更衣の体調不良とともに宮仕えがおろそかになればなるほど寵愛はつのり、それによって更衣の周囲の嫉妬に彼女が苦しみ、それが自分のせいだと思えばいっそういとおしく、それがまた周囲の嫉妬を増幅することになり…と、負のスパイラルに落ち込んで、宮廷内のストレスは次第に飽和状態に近づいていきます。
更衣は父親が亡くなっていて、しっかりした後見者がいません。ただ更衣の母が、幸いにしっかりした人で、恐らく懸命の心配りをしているのでしょう、何とか宮仕えができているのですが、やはり絶えず不安な気持ちにかられています。
普通に初めて読み始めた読者は、この帝と更衣の二人の愛の物語と思って読むでしょうから、このあたりでは、早くも悲劇的結末によって終わってしまいそうで、一体どう続いていくことかと展開の先をあやぶむことでしょう。》