【現代語訳】2
「死出の旅路にも、後れたり先立ったりするまいと、お約束あそばしたものを。いくらそうだとしても、おいてけぼりにしては、行ききれまい」と仰せになるのを、女もたいそう悲しいと、お顔を拝し上げて、
「 限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり
(人の命には限りがあってお別れする悲しさに、今、別れ路に立って私が行きたいと思うのは、生きている世界への路でございます)
ほんとうにこのようになると存じておりましたならば」
と、息も絶えだえに、申し上げたそうなことはありそうな様子であるが、たいそう苦しげに気力もなさそうなので、このままここで、最期となってしまうようなこともお見届けしたいと、お考えあそばされるが、「今日始める予定の祈祷などを、しかるべき僧たちの承っておりますのが、今宵から始めます」と言って、おせき立て申し上げるので、たまらなくお思いあそばしながら退出させなさる。
お胸がひしと塞がって、少しもうとうとなされず、夜を明かしかねあそばす。勅使が行き来する間もないうちに、しきりに気がかりなお気持ちをこの上なくお漏らしあそばしていらしたところ、「夜半少し過ぎたころに、お亡くなりになりました」と言って更衣の里人が泣き騒ぐので、勅使もたいそうがっかりして帰参した。お耳にあそばすと御心が顛倒して、すっかり御分別を失われて、引き籠もっておいであそばす。
御子は、それでもとても御覧になっていたいが、このような折に宮中に伺候していらっしゃるのは、先例のないことなので、退出なさろうとする。何事があったのだろうかともお分かりにならず、お仕えする人々が泣き惑い、父主上もお涙が絶えずおこぼれあそばしているのを、変だなと拝し上げなさっているのを、普通の場合でさえ、このような別れの悲しくないことはない次第なのを、いっそうに悲しく何とも言いようがない。
《更衣は帝との別れ際に「いとかく思うたまへましかば(原文・ほんとうにこのようになると存じておりましたならば)」と言いさして、後の言葉を飲み込むのですが、普通に続けるとすれば「宮仕えなどには出ませんでしたでしょうに」となるでしょう。
それは読み方によっては帝に対して大変な不敬に当たるはずで、ちょっとびっくりします。しかし「ましかば」という反実仮想表現は強調の一種であることから考えれば、言いたいのはそういう仮想の部分ではなくて、言葉にされていない思いの方なのです。
「ほんとうにこのようにと存じておりましたならば、(宮仕えなどには出ないで、こういうお別れのつらさを味わわないですんだでしょうに、実際にはそう分かっていませんでしたので、お仕えしご寵愛を頂いて、お別れのつらさを感じております)」となる、最後の部分、「お別れをつらさを感じております」を、そういう言い方で強調しているわけです。
ともあれ更衣は、本格的に具合が悪くなってからわずか一週間ほどの患いで、しかも里下がりして、何とその夜に、帝にとって以上に読者にとって、まことにあっけなく亡くなってしまいます。
『源氏物語』は実は「若紫」から書かれ始めて、「桐壺」は後で書き足されたのだという説があります(このことには少し先で、また触れます)が、そうだとすれば、それがこういう慌ただしさを生んだのかも知れません。
さて、初めて読む読者は、ヒロインだと思っていた人が退場して、一体これから物語はどう続くのかと思って読み進めます。すると、その目の前に御子が現れ、よちよち歩きを始めます。
『集成』が「延喜七年(九〇七)、七歳以下の子供は親の喪に服するに及ばないということになった。…この物語の時代は延喜七年以前ということになる」と考証しています。『源氏物語』の執筆開始は一〇〇〇年頃とされていますから、一世紀前のことになります。冒頭の「いづれの御時にか」を当代の読者はそのように意識して読んでいたわけです。